塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

涙ってあったかい

家に帰っても、もう映画の中の人々に会えないことが悲しくて悲しくて涙が溢れてきた。内容を振り返れば主人公の心情の変化を思い出し涙が出る。無心になろうとしても、もう会えないスクリーンで生きていた彼らを思い出してしまう。

いつもいつも映画館に足を運ぶと、その劇場に心を置いていってしまう感覚だ。泣きまくってぼやけた視界のまま外へ出るから、私の正常な気持ちが置いてけぼりになる。

失くした平常心が教えてくれたこと、それは涙は温かい。目から温泉が出てるみたい。頰をつたってもなお、失くした気持ちの分を取り返そうとしているみたいでなんだか愛おしくも思えた。温かいだけでなんでもない涙。でも、冷たいより温かいに越したことはない。

これからも思い出しては打ちのめされそうなくらいに影響を私に与える映画。温かいというオプションのついた涙だけでカバーしようとする私の深層心理を抱きしめたい。

空っぽで満たされている心は、色んな気持ちを失くしているようだ。それに今日気づいた。カバーしてほしいなあ、たとえそれが無謀でも。

いいモノのせいで

いいモノ。音楽、映画、本。良いモノを探し求める。なのに、良いモノに出会うと抜け殻みたいになる。

今抜け殻。小さい時から映画はよく観てたが、毎回心が満たされた後に何故か空っぽになる。空っぽなのに満たされてるし、満たされてるのに空っぽ。それを自覚し始めた頃から、映画は一気観しないようにしていたのだ。忘れてた。今日も一昨日も映画を観てしまった。やべー空っぽ。

満たされてる。最高の映画を観れて幸せだった。なのに、あの時間がもう戻ってこないと思うと心ががらんどう。いま虚無感がすごい。パンフレットを眺めては涙が出て、音楽を聴けば映画を思い出してしまう。

あと一週間はこんな生活を続けそうだ。ふと思い出しては溢れそうな心を守る。守ったら虚無。やべー。映画の影響力やばい。

満たされすぎたせいって、幸せすぎる悩みなのかなあ。

『百円の恋』、『私たちのハァハァ』を観た

  『百円の恋』、『私たちのハァハァ』を観た。最終日でした。

はぁ。圧巻。二本続けて観られるなんて幸せ者でしかない。

映画館の一番前はデメリットしかない、とはてなブログもなんかのアフィリエイトなサイトにも書いてあった。そんなのよく言われることだから知ってたけれど、一番前のど真ん中に座った。初めて一番前、しかもど真ん中。変に大胆なところがある。座った瞬間に後悔した。周りには誰も居ないし、首が痛くて観れたもんじゃないってたくさんのブロガーが言ってたし怖かった。

いざ予告編が流れるもうどうでもよくなった。首は痛くないし、スクリーンを独り占めしているようでなんだかワクワクした。とても良かった。

『百円の恋』、嗚咽をハンカチに託す。観た映画をまた劇場で観る事が初めてだった。

やっぱり思う。大切な映画だ。また馬鹿みたいに泣いたけれど、前回よりも見た後の気持ちがスースーしている。ミントを肺に満たす気分。

一子の変わってゆく姿をまたスクリーンで観ることができてよかった。彼女の闘う姿を見守る人々は、何かしらの形で帽子をかぶっている。まるでスパーリングのヘッドギアのようだ。一子はコンビニや弁当屋の帽子を、ヘッドギアを脱ぎ、リングへ上がる。どんなに痛くても闘う彼女は逞しくて美しかった。格好良かったなあ。また、一子にしてもらった事を精いっぱい不器用にお返しする裕二の姿にも胸を打たれる。ダメ男だし、単純でバカだ。だけど、不器用すぎる優しさが彼にはあって、それが魅力でもある。一子を振り回してさんざん傷つけたけれど彼の焼いたでっかい肉や、離れないように固く手を握る姿を見てしまえば、こいつはダメだ、なんて言えない。

うーん。まだまだ思ったことはたくさんあるけれど、うまく伝えられない。また今度ゆっくり書けたらいいな。とにかく私にとって大切で大切で最高で大切な映画を観ることができて幸せだった。

『私たちのハァハァ』。これははじめたみた。最前列のど真ん中に、孤独なんて感じなくなっていたけれど、気づいたら両端に人が座っていた。安心である。

これも「痛み」が肝。主人公の女子高生四人は誰の心にもいると思った。どの立ち位置にも回ったことがある。そしてどの立ち位置でも、痛みを感じる。女子高生というブランドで、している事の小っ恥ずかしさとか重さをノリとかテンションに乗せて隠す。それは本人たちにとって痛いだろう。苦しいはずだ。

北九州から東京へ、好きなバンドのために家出。金髪に染めてみたり、汚い言葉を使ってみたり。憧れが湾曲して、彼女たちを爆発させる。

爆発のせいで大好きなクリープハイプのファイナルステージでやらかす。ただ、これが本当に彼女たちが求めていたモノだった気もする。モヤモヤは尽きないだろう。ふとした時に思い出しては頭を抱える姿が想像つく。でも痛くてもこれから闘わなければいけない。渋谷を、新宿を、どこでも四人で駆け巡れるように、力はあるのだ。

二本立てで映画を観て体力がなくなるのではないかと初めは思っていた。真逆だ。力をめちゃくちゃに貰っている。日常で磨り減った何かがフルに満たされている。こんなに良い映画を観ることができて幸せで仕方がない。過去の凹んでいた自分が励まされるような気持ち。

うー。良かった。観ることができて良かった。また観たい。幸せだった。今からパンフレットをコロコロ変わる顔色でめくります。ニヤニヤしたり泣いたりするだろうな、楽しみ。

微睡み

あのラジオの音が遠のく。大好きな曲のギターリフが脳内に淡く溶け込む。

春は眠い。少しでも横になったらもうお終い、微睡みが膜を張って私をどこかへ連れていく。それは馴染み深い場所かも知れないし、異国の見た事も無い街かも知れない。意識があるのかないのか、うとうとしてふわふわしているあの時間。大好きだ。

「微睡み」という概念を作った先祖は感受が尖りに尖っていたのだろう。字も存在も、ぴったり「まどろんで」いる。言葉って奥が深いのだな。満員電車から解放された時、一人で家までの道を歩いている時、そんななんでもない時間に、ふと言葉の持つ奥深さに気づく。

あのふわふわした極めて短い時間が、丁寧に切り取られ言葉として残される。まるで化石発掘のようだ。"あの感覚"を誰かが発掘し、「微睡み」と名付け概念として展示する。その誰かは、名も残らない誰かなのである。そこは博物館のように発掘者の名は残されたりはしない。

ただ、ながいながい間、美しい言葉が発掘された形のまま残っている事に安心する。誰が言い始めて誰が見つけたかもわからない、この美しい概念が、今も目をこすりながら文字を打っている人間に届いている事がとても嬉しい。

私は今確実に「微睡み」の手前にいる。この言葉の美しさはエタノールのように、すぐに私の肌に馴染む。もう「微睡み」に身を預けようか。甘美な響きである。微睡みに身を預けるなんて。これこそ耽溺だな。でも今の私は風呂も何もかも後にして、微睡んでしまいたい。遠のきを感じる前に、自分から「微睡み」にすり寄ろうじゃないか。

インドバスの思う壺

時間を守らない事で有名なバスを乗りこなす為に早すぎるくらいに駅に着く。悪評で名の知れたバスを利用する者の常識である。時刻表通りに乗ろうものなら電車に乗り遅れるのだ。時刻表が機能しない、日本らしからぬバス。

おいおめーはインドか。約束の時間を守らない事で有名なインドの人々なのか。ただインドの人々は自由を貫いた結果に、待ち合わせに遅れる事も承知の上である。いやいや日本のバスはおかしい。今日だって電車に乗れないことを危惧して、時刻表の30分前に乗った。それくらいしないといけないのである。

なのに、クソ。今回に限って時間通りに来やがって。30分余った私は、レモン味のメッツを探しにコンビニ、スーパーと二軒巡ったのにも関わらず、見つけた!と思って手に取ったソレはグレープフルーツ味のメッツだった。許せない。グレープフルーツが嫌いなわけじゃないけれど、レモン味と思って飲んだら残念だ。そりゃ残念。波田陽区も出てくるレベルで残念。

マジで不便。時間を守らないバスはもうバスじゃない。無駄に運賃高いし、なめてんのか。許せん。それでも乗車する我々を嘲笑うように、今日も明日も明後日も遅れるだろう。そして私もこれからも乗るのである。くそう。悔しいわ、思う壺。悔しい。

3/28クレイジージャーニー

普段からクレイジーな内容が多いが、今回もぶっ飛んでいた。

『「ロサンゼルスの闇」ギャングに接触!その実態とは?』全ての単語がヤバい。①麻薬②銃③売春④ギャングと、番号が大きくなればなるほど取材の目的度が増しているのだが、麻薬スタートってすごいな。それだけ、ロサンゼルスには違法合法含め麻薬が蔓延しているのだと知れたが、すごい番組だよこれやっぱり。だって麻薬が「序の口」みたいな感じになってるもん。普通、こういうドキュメント番組があっても、麻薬が④でしょ。いやいや贅沢。見えない世界を存分に教えてくれる。有難い。

丸山ゴンザレス氏が出演した時は毎回、計算された大胆さ、質問や指示の的確さに驚く。そこに無駄のないディレクターが撮影をして、我々もメッチャ興味深い世界を覗くことができる。

来週も丸山ゴンザレス回、それもコカイン密輸現場へ潜入、字面がやばい。すげー気になる。4月4日、楽しみ。

 

3/28水曜日のダウンタウン

総集編にも関わらず見応えがすごかった。

まずなにより、たむけんとダウンタウンだけで番組が成り立ってしまうのだ、やっぱりすごいなあ。今までやった説を殆ど覚えていない浜ちゃん、良い線までいく松っちゃん。ダウンタウンの、人を惹きつけるバランスの良さにも驚く。

普通の総集編って今までの良かったモノを並べるだけだ。ただ、この番組は違う。毎回凝った形で出てくるが今回もそう。視聴者としては、あのダウンタウンと一緒にクイズ形式になった『水ダウ』を観ているのである。すごい事だ。組み替えて並べられただけでない、より面白くなっている。総集編の概念をぶち壊している。普通じゃない、特別で最高だ。マジでテレビの可能性をグイグイ広げまくっている。

個人的にはイラストでない、口元がカバでヅラのおばちゃんがまたテレビで観られたことが嬉しかった。いつ観ても衝撃中の衝撃である。

そして4月11日の次週は、なんと。『水曜日のダウンタウンこち亀検証スペシャル〜』、まさかの2時間スペシャルである。楽しみすぎる。絶対OP最高だろ。PUNPEEのリリックも楽しみだし、ODDJOB手掛けるシーパンク的なアートワークがこち亀仕様だなんて、メッッチャ楽しみ。小さい時に暇を持て余してこち亀のアニメを観まくっててよかった。こんな所で役に立つなんて思いもしなかった。嬉しい。マジで嬉しい。

2時間スペシャルをこち亀検証に全て使う贅沢。金ばかりを使って、「テレビでしかできない壮大な事」をする時代は終わったのだと感じる。時間とこだわり。この番組はいつでも別角度を見せてくれる。あー4月まで待てないなあ。楽しみだわー。