塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

万引き家族をみた

万引き家族をみた。いつもの悪い癖で有名になったから観るのをやめようとか一瞬思ったのだけど、やっぱり悪い癖なのだと痛感する、それほどに良い映画だった。

深い海底から太陽を見上げるようだ。重くて暗くて息苦しい筈なのに、人と人が「家族」であるだけで彩りになり、絆を生み、愛となっていた。正しい「繋がり」が必ずしも幸せとは限らないし、歪で今にも千切れそうな「繋がり」が誰かには本当の幸せだったりする。時代にも社会にも取り残された「家族」は、それらが取りこぼした温かさも優しさも持っていて、戸籍とか事実とかそんな事では語れない、窪んだ真実があったように思う。

また、ラストをみて何が幸せかは他人が決める事でないと改めて気づく。本当の幸せなんて自分で決める事で、周りから見える幸せなんてはりぼてにすぎないのだと感じる。正義感に突き動かされる警察官は、事実と真実の行間を読めない。いざ正義を全うすれば、ユリはじゅりとなるだけで鬱屈とした生活を焼き戻しているようだし、そこには愛も優しさも温もりもない。他人から見た事実は全く真実ではないのだ。

あまりに人生経験の少ない私は何を言っても浅はかなのだけれど、ここで変な評論とかしちゃうのもアレだしいいんだこれで。うまくまとめられないしぐちゃぐちゃしてるけど、とにかくいい映画だったな。

ひくつ

とうとう今日、耳をつんざくアイツらが聞こえた。「うるせえ」を筆頭に、心中でボロクソに言いながらトボトボ長い道のりを歩いて家に向かう。

ますます卑屈になる自分が怖くて仕方がない。心の中の口癖は、「もうダメだ」と「私なんか」。最悪である。私のポジティブはどこにあるんだよ。いつ失くしたのだ。もう。なんなんだよ。幼少期はかなりポジティブシンキングだった筈なのになあ。自己肯定感がほぼゼロなのが不思議。別にヤバい環境で育った訳でも親が鬼とかそんなこともなく、むしろ良い生活を送っているのに。なんなんだよー全く。

わたしもアイツらのように、7日の命しかなかったらきっとこんなことで悩んでいないんだろう。生きることに必死で、私がイライラしようが鼓膜が破れようが、彼らは鳴いて鳴いて生命の証を残しているんでしょ。すごいね格好いいな。うるさくてむさ苦しくて嫌悪感しかないセミに学ぶところが多いのもなんだかイヤだけど。

どうすれば卑屈って治るんだろう。多分治らなくていいって心のどこかで思っているのもいけなさそうだなあ。もう。

重力、半端ないって

重力を毎日感じながら生きる。重い、体が重すぎる。まじ半端ない。今流行りのアレになるけど、ほんと半端ないんだわ。

圧倒的夏バテで、食欲はないし元気もないしやる気もなにもかもない。今日梅雨明けしたそうだけど、六月で30度台ってもうダメだ先が思いやられる。また視力は落ちたし蚊に刺されるし、心の中で踏んだり蹴ったりだなって一日十回は思ってるんだけど、気がついたらそんな一日すらも終わってる。信じられないくらい辛い朝を迎えて、同じようなことを繰り返し考えて寝て起きる、もう無理だ。ほんとうに夏って最低。外に出たくない、暑い、眩しい。まだ騒音代表のセミが登場していないことだけが救いだけれど、すぐひょこひょこ出てきやがるんだよなあ。

今でさえ気持ちがヤバめの私がそれこそ、盛夏に抜け殻みたいになってしまうのは確実にアイツらのせいで、つんざくアレがもう嫌悪を超えた形容しがたいなんかになってる。

はあ。なつきらい。はやく終われよ。毎日感じてる異常な重力も治んないかな。半端ないんだよないろいろ。はあ。

雑日記

テレビを観て本を読んでるだけの一日。もう最高。ひさびさにトリビアの泉を一気見した。やっぱり面白い物はずっと変わらず面白い。

そういえばもう6月に入り、梅雨入りなんかしちゃって低気圧にやられている日々。気圧の変動で心の安定がなくなるわたしは、6、7月は敵なのです。もう雨音が聞こえてる頃には頭も心も重い。

重い頭で考えることはくだらない事しかないけれど、こんな駄日記が誰に見られてるかわからないのって恐ろしくも感じる。この距離感が欲しかったはずなのに、今はその距離感を恐れているし。中身がなくなって形だけになってしまっているな。形骸。

いつまでたっても何もする気が起きないし、何もしなくてもどうにかやっていける環境にいるからどんどん自堕落になっている。まずいまずい。とりあえず今日は最低限のコトだけやって眠ろう。早起きってだいじなんだよな。眠りたい。

つんどく

積読本が溜まりすぎた。著名な作家が現代語訳した古文の本、舟を編む、苦汁200%、吉田修一のひなた、世界観文庫。気がつけば溜まりに溜まる本。なんでなんだろう、いつもいつも本が溜まる。時間を見つけては読んでいるのに一向に減らない。

やることずくめの中の安らぎのほんたち。本を読むことができなくなった時期だってあったし、文字を読むことが突然苦痛で仕方なくなった時もあったけど、ずっとここまで一緒に人生を歩んでるってすごいな。そんなことも含めて、やっぱりわたしは文化系な人間だ。運動もそれなりに好きだけど、本当に楽しく感じるのはダラダラしながら本を読んだり映画を観たりテレビを観たり音楽聴いたりとかそういうこと。運動が心から好きな人たち逆にすごい。やっぱり運動をする前にわたしの中には「面倒くさい」がついてるもん。

読んでも読んでも減らない本も、観たらもったいなくてまだ観られていない録画も、毎日を彩るヤツ。好き、あーそんなことばかりしてたい。あー。

ロンハー『有吉先生のタレントマジ相談』をみた

ロンハー「有吉先生のタレントマジ相談」を観た。6年くらい前の。

めちゃくちゃグサグサくる。マジで観てるのもキツイくらい、自分に言われているような気すらした。ただ、有吉先生の厳しい言葉の一つ一つが全てその通りでしかないし、実際「相談者」たちに必要な事しか伝えていない。わかっているけれど認めたくない部分をそのまま言葉にする力、マジで天才的。洞察力の鬼だと改めて思った。

アイドルだから優しくされるだろうし、有吉さんだから話題になれるハズ、とか思ってたキャストだっていたかもしれないけど、そんな考えの真上を飛んで行くような発言の数々。野呂に関しては私的にグサグサくる言葉ばかりだった。実際ひな壇にいたアイドルたちの中で「消えて」いないのは野呂佳代だけなんじゃないのかなあ。今の野呂と出演時の野呂の明らかな違いから、本当に努力をしたのだと感じた。

アレを放送するロンハーに有り難さを感じながら、有吉の言葉の数々を胸にしまって生きようと思う。

テレビが好き

タレント名鑑、スター名鑑、テベコンヒーロ。土日の部屋に籠る私の供。

何度も見た下りをオチが分かりながらもみる。普通のモノなら飽きてしまうけれど、藤井Pの番組ではそんなことはない。小木織田のくだり見たさにあの動画をめちゃくちゃ探したし、福男と対決するベンジョンソンのヤツなんてマジで10回は見てる気がする。フジモンには負けるけれど、チーム有吉やテベコンとかの小梅回もかなり見ている。

考えてみれば、幼稚園の頃から私は藤井健太郎番組を観ているようで、本当に良い環境に育ったなと思うのです。16歳、若すぎる私だけれどテレビが好きという気持ちと、それなりに知識はある。まだまだ上に、全録してる人々や私が出会っていない面白い番組を観ている人がいるからアレだけれど、自分にとってテレビは愛してやまないモノなのです。

マジでテレビ好きでよかった。観たい、という衝動にかられ水ダウでの、井脇ノブ子の「ふざけんな」の為にかなり時間を使った土曜日。芸能人検索ワードクイズを漁って終わりかけている日曜日。人生の無駄でしかないけれどたのしい。

これからもずっとテレビを観ていたい。面白いものをもっと知りたい。そういえば、来週のみんなの説SP楽しみだな。こうワクワクできるのもまたしあわせ。あー。テレビっていいわ。