塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

恥を飼いならす、こだま氏への

「世間に話題を呼んでいる」とか形容されるモノはダサいに決まってる、絶対身の回りに置きたくない、そう思って生きてきた。その「世間に話題を呼んでいる」の中でもこだまさんの本、『夫のちんぽが入らない』なんて、低俗かつ内容の無い最低なモノくらいに思っていた。

もう阿呆!!!最悪!!早く読めよ!めちゃくちゃ面白いじゃん。めちゃくちゃ笑って泣いちゃうじゃん。笑って泣くとか恥ずかしい言葉でしか表せないけど、本当にそうなの。やべーよこだまさん。

自分は強烈な田舎にも住んでいないし、母親が豊田真由子議員みたいな罵声を浴びせ続けてきた事も、「入らない」で誰にも言えず悩んだ事もまだない。ただ、彼女の根底の部分に共感してしまう。それは読者の方、ほとんどがそうなのではないかと思う。

共感させるような文章を作ることは、自分の恥を面白みに、力強さに、なにより届く側の人々への優しさに昇華しなくてはならない。それを意図せずともしているこだま氏の才能、惚れ惚れする。だって恥を晒すことは本当に怖い事だ。恥って影響力が大きすぎる。一つでも恥を隠している事がバレた瞬間に、恥はその人自身のこびりついたイメージになってしまう。恥こえーよ、強すぎかよ。

そんな扱いの難しい恥に、振り回されながらも対峙し、プラスの方向に飼いならしてるこだま氏のしている事は、メチャメチャ大変で常人にはできない、いや常人はしようとも思わない事だ。

この本を読んでからというものの、自分の思慮不足に舌を巻きまくって生きてる。どうでもいい事で「もう死にそう」とか思ってた自分は、こだま氏の何千分の1の苦しみだったんだろう。いや、何億分の1かなあ。そもそも自分なんかが苦しい思いをした、とか思っちゃっていいのだろうか。もう。まったくだ。クソだ。今ならバイきんぐの『なんて日だ!』が生まれた背景が分かる気がする。

兎にも角にも、ただただ自分はこだま氏の大ファンになったのだ。最初はやはり捻くれた、屈折した考えが自分の脳内を駆けずり回っていた、そんなの捨てなきゃダメだ。もう屈折しまくって、太陽光を集める虫眼鏡みたいになってるから大ファンになれたのだけれど、素直な心を呼び寄せるのも大変な事なんだと気付かされた。

毎日『夫のちんぽが入らない』も『ここは、おしまいの地』も表紙を撫でては読んでる。読んだ後は不思議と、周りの景色がワントーンくらい明るく見えるのです、素敵すぎないこれ。心を、温かいお風呂にちゃぽんって入れてあげてる気分になる。それくらい素敵なんです。

明日も強くじゃなくていいから、弱めなら弱めに力強く生きようと思わせてくれる。こだまさんに感謝。

https://www.amazon.co.jp/夫のちんぽが入らない

https://www.amazon.co.jp/ここは、おしまいの地