塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

KIRINJIとしがらみと憂き世謳いの先祖

物事にはしがらみが付き物、何故かは知らないがセンスが問われるようなモノはしがらみも把握していないと「野暮」なヤツになってしまう。

音楽もその一つ。知ってるぶんには、知らない人より深くその楽曲を楽しめるとは思う。ただ、詳しく知らない人の事を「野暮」とする方が相当野暮なんじゃないかなあ、好きだったら好きなんだし。

こんな青い事も考えちゃうけれど、私にはしがらみ抜きでKIRINJIの楽曲が好きだ。

例えば、名名名名名曲の『エイリアンズ』。あの曲を、しがらみを意識して聴いていたらつまらないって!その日の気分によって、肌を覆うような生温かい空気も、針で突き刺すような冷たい風も一音目から感じることが出来る。すごすぎでしょ。

何かのテレビで、良い歌詞は情景を説明してから核心的な部分にストーリーを進めると言っていた。この『エイリアンズ』は一音目からもうすでに情景が浮かぶ。もちろんそのテレビで説明していた理論にも則ってもいて、Aメロまでは歌詞の中の人物が置かれている状況を説明している。だから、他のアーティストの曲より相当情景が理解しやすくなっている。

実際には彼らが育った「地方都市」を思い浮かべながら作ったそうだが、都市ではあるものの「地方」という点から、主流から一歩だけ逸れたモノにだけある淋しさをひしひしと感じる。というかこの歌詞の表現一つ一つからも、主流から一歩だけ逸れた淋しさを感じる。『真夜中』じゃなくて『誰かの不機嫌も寝静まる夜』、『地方都市』を『この星の僻地』。ああもう素敵。大都市はストレートすぎる。地方都市の少し湾曲した、物悲しさに人は美を感じるのではないか。決して地方都市をdisっているのではない、ネーミングと存在からくるこの、グッとくる感じ。そう、これが言わずと知れた古語、「をかし」の意味する事なのだと思う、今なら清少納言とハイタッチできそうだ。

月の裏は地球からは絶対に見えないそうだ。理科で習った。『月の裏を夢見る』こと、憂き世を謳ったいつしかの先祖も同じように、地球から見た月の僻地に想いを馳せてたんじゃないかなあ。

そう思うとなんだかまた、世の中を金や銀に染めパリピ的な生活をしていた貴族よりも憂き世を謳う小さな先祖に、主流でない物悲しさを感じてしまう。そして美を感じる。