塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

大木凡人と尾崎世界観

格好いい。悔しかった、彼らの名前を知った時。

ただ尾崎世界観という名前は、はじめは受け付けなかった、受け付かせないようにしていた。だってネットのツマラナイ人間達がこぞってクリープハイプを貶していたから、それを鵜呑みにするようなバカだったから。ただ、今では足元もおぼつかない私の杖のようなモノ。生きづらく感じた時、息しづらく感じた時、私のヘモグロビンになってたくさん聴けば聴くほど楽になる、血流良好、酸素運搬!

そして、大木凡人。見た目のインパクトに流され、私は未だに彼がどんな人物か詳しく知らない。そもそも、私は動いている彼をきちんと見た事すらない、物心ついた頃には彼はあまりテレビで見受けられなくなっていた。

ただ、「大木凡人」と検索画面に入力すると伝説とか最強、とか出てくる。!? そんなすごい人なのか。

上の方に出てくる記事をピックアップしても、ケンカに強すぎるとか、大動脈解離を患い死の淵を彷徨った挙句に生き返ったとか、見た目とは裏腹すぎる事実を突きつけられた。2015年くらいからその難病から奇跡の復活を遂げた事でメディアにたくさん露出していたようだが知らなかった。ニュースをあまり見ていないせいだ、無知の極みだな全く。ただもっと、いろんな意味で強すぎるエピソードよりは、実は妖精でしたとかぶっ飛んだフェミニンな話の方が無知な私には信じられた気がする。

しかし私は何より彼の名前が好きだ。ジェームズ・ボンドから取ったらしいが、そこも悔しい。良い選択すぎる。The name is Bond. テンポもいいじゃないか。いい名前だ。

私は、自分が凡人であると思っている。ただ、自分の事を凡人だと言い切れる人は少ないから、チャンスがあれば凡人と名乗りたかった、そんなチャンスそうそうないけど。

それは尾崎祐介が尾崎世界観になった時の気持ちと似ているのかもしれない。

彼は「世界観」で簡単に片付けられる評価に対して、世界観ってなんだクソと思ってつけたそうだ。一方、私は凡人だけど、自分の事を特別だと思ってる奴と違うんだクソ、という気持ちから大木凡人氏の「凡人」という名前をたいそう気に入っている。一見、世界観氏と私の言っていることは「言われた側」と勝手に「言ってる側」、真逆に見えるが根底にある部分は一緒だと思っている、勝手に。すみません。

それは、周りを見ずに思い込みで何かを言う奴、もしくは何か言ってくる奴に対しての疑いと抗いだ。世界観が良いって適当に言うのなら、世界観って名乗ってやる、この気持ちで私は「凡人」というネーミングに惹かれるのだ。超名乗りたかった、機会があれば。ただ、いつか自分にも、周りを見ずに空虚な「才能」とやらに酔ってしまう日が来るかも知れない。未然に防ぐ戒め的な意味でも「凡人」、羨ましい。羨望。