塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

笑顔で花粉症とウソをつく

やっぱりすぐ涙が溢れる。鼻水も出る。情けない。

涙っていらないオプションすぎです。カメの産卵のように、犬の寝起きのように誰も気にしない意味のない涙ならいいのです。私は、意味が多すぎる涙を流す。エモい。

エモい人って見てる分にはいいけど、自分がエモいとしんどいものです。

昨日も感極まった事があった。お恥ずかしい。ある厳しい方に、まだ泣いてるの?と半笑いで聞かれた。もうその時は泣き止んで割とピシッとしてたつもりだったから心外だった。確かにさっきまでの涙のせいで鼻をすすったけども、あの厳しい方にそんな風に言われると、また泣きそうになった。堪えて、「花粉症です」と答えた。それも笑顔で。私は花粉症を患ったことが一度もありません。

虚しい。なぜ自分はウソをつく時、笑顔なんだろう。悲しい。

そんな私は何も変わっていませんでした。

それは小3の、何もしていないのに担任に怒られた時。完全無実の冤罪でしかなかったが、他の人たちと一緒に廊下に立たされた。江戸時代の獄門・晒し首を、意識があるのにされている気分だった。恥ずかしくて逃げ出したくてどうしようもない気持ちでいっぱいだった。

その担任はキャリア30年くらいの超ベテラン教師で、芯があるとも視野が狭いとも言えるような女性の先生だった。おかしいと思って反論しようものなら、物の言い方を考えろと一蹴される。私は諦めていた、そうやって児童の言い分に耳を傾けずに、頭ごなしに叱る「ベテラン教師」の姿を何度も見ていたから。

結局、怒られるような事をしてすみませんでしたと謝った。涙が溢れた。情けなかった、心から。もっと怒られたくないから不本意な事を言っている自分。泣いてまで言う事じゃなかった、今思えば。

その時も、なんで泣いてるの?と事情を知らない他の先生か友人かに聞かれたとき「花粉症だから」と答えた。それもまた笑ってウソをついた。笑えねーよ。

ただ、そのベテラン教師からは、不条理を受け止める事の大変さを教えてもらったと思う。コレは実際ものすごく大切な社会勉強だったなあとも思う。普通こんな事誰も教えてくれないから、早めに知れてよかったのかもしれない。

そのベテランの口癖は、「目上の人にはとりあえずハイと言いなさい」でした。なんと。事実とは違っていても受け入れろと。

それが良い教育かどうかはまだわからない、けれどヒール役になってまで児童に厳しい「社会」を教えてくれていたのかもしれない。それはそれで、その先生っぽいのです。コレが本当の意図だったかどうかは、私にはわからないけれど。

花粉症の季節になると、涙を流すと、晒し首という言葉を見ると、貴方の事と不条理たちを思い出します。