塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

寝殿造の系統変えるわ

「JKでびゅー」。頭が溶けそうな文字で友人がプリクラに書いてSNSにあげていた。

4月1日。進学する者は次の学年になる日。とうとう私も「でびゅー」したそうだ。ただ、誰が誰だかわからない加工された顔でめいめいポーズをとる友人たちを見ていると、なんだか「無常」を感じてしまう。

いつ恥ずかしくなるのだろう。いつその写真をSNSから消去するのだろう。いつか「今」を苦く感じてしまう日がくるのだろうか。写真の中の加工された笑顔の友人が、その笑顔と目を合わせられなくなる日がくるかもしれないと思うと、何故か無性に胸が苦しくなる。

別にプリを撮る事とか、写真での自分の魅せ方を知っている人を揶揄なんてしていない。むしろすごいなと、尊敬くらいの眼差しを向けている。私はそんなことをするのが恥ずかしくなってしまう性格だから、見守ることしかできない。

「系統変えます」。よく友は言う。寂しいなと毎回思う。無邪気な集合写真をたくさんあげていたあの子は今、写真に薄暗い加工を施し「『病み系』が好き」と豪語する。あんなに素敵な笑顔ばかりだったのに、いつしか中指を立てる事が格好良いと思う価値観になったそうだ。ああ、無常。無情じゃない。無常。我々のめまぐるしい小さな社会には「常」はないらしい。

詠み人知らずも兼好法師も、皆一様に無常を語る。彼らもこんな世界に生きていたのだろうか。「ちょっと寝殿造の系統変えるわ」みたいな会話をしていたのだろうか。そこに寂しさを、無常を感じる先祖は絶対にいたと思う。

またSNSを見る。さっきの写真、よく見たら「JKでびゅー♡」だった。ハートまでつけるか。「でびゅー」の字面の間抜けさは嫌いじゃないけれど、ハートまでつけられちゃうと話は変わる。

お願いだからハートをつけたアナタを、グリグリの目のアナタを、菜々緒レベルな足の長さのアナタを、アナタ自身が笑って蔑む日が来ませんように。そんな寂しいこと、しないでほしい。