塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

懐古できるほどの時間と成長が欲しい

若かった頃を懐古してる人が羨ましい。中高の時あんなバカしたなとか、あの教科が苦手で追試ばっかりだったよとか、そんな事をサラッと笑い話にできるほどの時間と成長が欲しい。

まさに今「懐古される時」を生きている。ただ当のわたしはそんな渦中なんてイヤで、過去として、俯瞰して笑ってるくらいの自分との距離感が一番良く見えてしまう。

「数学がマジでできない」って事実は変わらないけれど時間さえ経ってしまえば話題の1つになっているだろうし、「高校生になってまで鬼ごっこをしたがる」なんて文字に書くだけでも恥ずかしいクラスメイトへの不満を持っている事だってはにかみで済むだろう。

幼稚園の頃は小学生のランドセルが強大なステータスに思えていた。かと思えば小学生の頃は早くランドセルを脱いで肩がけのカバンを持ちたかった。

まさにそんなカンジで、わたしはずっと上の何かに憧れ続けるのだろう。結局、いま羨望する「懐古する側」になったら、「憧れている時」が一番幸せなのだとか思っていそうだ。

でも、今の私はとにかく今を懐かしむことができるほどの時間と成長が欲しい。はあ、何年かかるんだろう。山積みの宿題と対峙しながらこんな事を抜かす私を、いつか笑っていたい。