塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

雌滝

文章を書ける、と思う気持ちが消えた。

何度も打っては消している。寺山修司の『海に霧』に感銘を受けたこと、幼稚園の頃に捨てた絵のこと、たくさん脳には書けそうなことがあって今しか文章に残せないと思うのに、どうにもできない。頭に浮かんだものを丸く形にしようと試みても、心が分裂している感じがして刺々しい隔たりが胸を突き刺す。何もできない。

ひどい無力感と虚脱に苦しんでいる。いや、本当に苦しんでいるのか? 私の口先だけで走る文字が、現実から逃れる為に疾走してるみたいで気分が悪い。嘘 という車輪が、事実から逃げるために廻る周る。まわったさきには湖があって、最高速度の自転からブレーキをかけられずに沈む 鎮む。 塩分を感知した最期 記憶は僅かな塩水でおわる終わるおわる畢る。

街を歩く 人と話す 靴を脱ぐ 何から何までが、現時点のわたしの毒として巡る過去になる。 理由がわからない。理由のわからない不安がわたしを支配し、指揮して心を弱くよわくさせる。病理的なこの感情を理解されたいとも、心配されたいとも思わない。ただ闇雲に、自分を救う可能性をここに託しているだけ。

しているだけ。郭公は托卵をする。気前のいい鳥の卵を蹴落として、自分の卵を置いて、育ててもらう。

生物の合理的なイカサマに、わたしは非合理的な感情を抱く。生きることを合理化させること、そこに付随する無駄なもの、わたしは無駄だけでできている かなしい。自分自身は無駄な存在だ…みたいなナルシシスティックな話をしたいのでない。わたしを構成するものは、感情の熱と熱のはざまから出来ていて、そのエネルギーに身すら燃やされてしまったみたいな みたいなそんな気持ち、理知がまるでない、ずっと燃えていて萌ゆる感性すらいまは燃焼されているみたいな、 感覚 間隔をあけて居ないと火が移るみたいな、 でも 他者としてならその姿を 見たいな、みたいな。

わたしは非合理的な人間だ。郭公のように冷淡を冷淡と捉えない覚悟もなければ、落ち込むことを辞めようと割り切る元気もない。なにもない。心は常に津波が起きて、たくさんのわたしが死んで、たくさんのわたしが傷ついて、たくさんの感情が二次災害を起こす。虹がみえたらいいのにな。虹さえあればいいのに。心の間隙を埋めるものがない。本や映画をいま、どうにかして取り入れているけれど、埋まらない。虹、二次対策…二時、二児 滲んだインクが馬鹿らしい 馴染んだとでも思ったか 馬鹿らしい バカみたいだ 馬や鹿のように、どこか遠くを駆け巡れたらいいのにな いいのにな

つまらない睫毛が固まっている 積み重なる心の重りに罪が重なっている     街を闊歩して何かに愛を注ぎ 百歩も譲らず 前を向きたい 無機 対 わたし。