塩麹とはなぢ

テレビと音楽をかくときめた

懐古できるほどの時間と成長が欲しい

若かった頃を懐古してる人が羨ましい。中高の時あんなバカしたなとか、あの教科が苦手で追試ばっかりだったよとか、そんな事をサラッと笑い話にできるほどの時間と成長が欲しい。

まさに今「懐古される時」を生きている。ただ当のわたしはそんな渦中なんてイヤで、過去として、俯瞰して笑ってるくらいの自分との距離感が一番良く見えてしまう。

「数学がマジでできない」って事実は変わらないけれど時間さえ経ってしまえば話題の1つになっているだろうし、「高校生になってまで鬼ごっこをしたがる」なんて文字に書くだけでも恥ずかしいクラスメイトへの不満を持っている事だってはにかみで済むだろう。

幼稚園の頃は小学生のランドセルが強大なステータスに思えていた。かと思えば小学生の頃は早くランドセルを脱いで肩がけのカバンを持ちたかった。

まさにそんなカンジで、わたしはずっと上の何かに憧れ続けるのだろう。結局、いま羨望する「懐古する側」になったら、「憧れている時」が一番幸せなのだとか思っていそうだ。

でも、今の私はとにかく今を懐かしむことができるほどの時間と成長が欲しい。はあ、何年かかるんだろう。山積みの宿題と対峙しながらこんな事を抜かす私を、いつか笑っていたい。

キリンジを借りた

キリンジは絶対好みだ、というのはわかっていたのだけどタイミングが合わなくて借りられなかったCDを、やっとパソコンに落とした。

ヤバイな。ベスト盤をとりあえず借りてみたのだけれど、ヤバイ。もともと知ってたのは『エイリアンズ』と『雨は毛布のように』だけで、この二つが最高峰だと思っていたのに簡単に翻してくる。半端ない。全て一直線に良い。そこはかとないキリンジの良さが、「溢れ出る肉汁」みたいな、ピンセットで取れるか取れないかみたいな、繊細で込み入った感情をダダ漏れにさせるのだ。

もっと借りようと思っているんだけどね、まだまだいい曲があるんだとわかっているんだけど、あまりにもいいから噛み締めてなかなか次が手をつけられなさそうだな。それはそれでしあわせなんだけど。

万引き家族をみた

万引き家族をみた。いつもの悪い癖で有名になったから観るのをやめようとか一瞬思ったのだけど、やっぱり悪い癖なのだと痛感する、それほどに良い映画だった。

深い海底から太陽を見上げるようだ。重くて暗くて息苦しい筈なのに、人と人が「家族」であるだけで彩りになり、絆を生み、愛となっていた。正しい「繋がり」が必ずしも幸せとは限らないし、歪で今にも千切れそうな「繋がり」が誰かには本当の幸せだったりする。時代にも社会にも取り残された「家族」は、それらが取りこぼした温かさも優しさも持っていて、戸籍とか事実とかそんな事では語れない、窪んだ真実があったように思う。

また、ラストをみて何が幸せかは他人が決める事でないと改めて気づく。本当の幸せなんて自分で決める事で、周りから見える幸せなんてはりぼてにすぎないのだと感じる。正義感に突き動かされる警察官は、事実と真実の行間を読めない。いざ正義を全うすれば、ユリはじゅりとなるだけで鬱屈とした生活を焼き戻しているようだし、そこには愛も優しさも温もりもない。他人から見た事実は全く真実ではないのだ。

あまりに人生経験の少ない私は何を言っても浅はかなのだけれど、ここで変な評論とかしちゃうのもアレだしいいんだこれで。うまくまとめられないしぐちゃぐちゃしてるけど、とにかくいい映画だったな。

つんどく

積読本が溜まりすぎた。著名な作家が現代語訳した古文の本、舟を編む、苦汁200%、吉田修一のひなた、世界観文庫。気がつけば溜まりに溜まる本。なんでなんだろう、いつもいつも本が溜まる。時間を見つけては読んでいるのに一向に減らない。

やることずくめの中の安らぎのほんたち。本を読むことができなくなった時期だってあったし、文字を読むことが突然苦痛で仕方なくなった時もあったけど、ずっとここまで一緒に人生を歩んでるってすごいな。そんなことも含めて、やっぱりわたしは文化系な人間だ。運動もそれなりに好きだけど、本当に楽しく感じるのはダラダラしながら本を読んだり映画を観たりテレビを観たり音楽聴いたりとかそういうこと。運動が心から好きな人たち逆にすごい。やっぱり運動をする前にわたしの中には「面倒くさい」がついてるもん。

読んでも読んでも減らない本も、観たらもったいなくてまだ観られていない録画も、毎日を彩るヤツ。好き、あーそんなことばかりしてたい。あー。

ロンハー『有吉先生のタレントマジ相談』をみた

ロンハー「有吉先生のタレントマジ相談」を観た。6年くらい前の。

めちゃくちゃグサグサくる。マジで観てるのもキツイくらい、自分に言われているような気すらした。ただ、有吉先生の厳しい言葉の一つ一つが全てその通りでしかないし、実際「相談者」たちに必要な事しか伝えていない。わかっているけれど認めたくない部分をそのまま言葉にする力、マジで天才的。洞察力の鬼だと改めて思った。

アイドルだから優しくされるだろうし、有吉さんだから話題になれるハズ、とか思ってたキャストだっていたかもしれないけど、そんな考えの真上を飛んで行くような発言の数々。野呂に関しては私的にグサグサくる言葉ばかりだった。実際ひな壇にいたアイドルたちの中で「消えて」いないのは野呂佳代だけなんじゃないのかなあ。今の野呂と出演時の野呂の明らかな違いから、本当に努力をしたのだと感じた。

アレを放送するロンハーに有り難さを感じながら、有吉の言葉の数々を胸にしまって生きようと思う。

武道館へ

気づいたら毎日忙しすぎて、更新が遅れすぎた。はあ。

今日は武道館へ。「クリープハイプのすべて」の為に猛ダッシュに猛ダッシュを重ね、開始1分前に到着した。

しあわせだった。マジで。ああ。あああ。日々の細々した負が溶けているのを感じた。幸せだなあて心から思った。

明日はもっと今日の感想を書きます。いまの耳鳴りしているこんな時間も、あの武道館からのお土産のようで幸せだなあ。この気持ちは今しかないのが惜しい。

ただ今日は疲れすぎた、早く寝よう。。

ハイパーハードボイルドグルメリポートを一挙に観た

二日くらい前、録画欄にあった見慣れぬ字面。おまかせ録画されていた『ハイパーハードボイルドグルメリポート』。タイトルのインパクトから軽い気持ちで観はじめたがオープニングで惹かれた。初っ端からイカしている。めちゃくちゃにスタイリッシュで格好いい。これはアタリだ。そう確信したのにも関わらず、超多忙な一日だったせいで殆ど観ることなく寝た。もう一度観ようと思ったら何故か録画が消えていた。不可解中の不可解である。

だからやっとTVerで観た。

半年くらい前に、二週に渡って『ハイパーハードボイルドグルメリポート』は放送されていたらしい。そんなの何も知らなかった。ダメだなあ私。今だけ前の放送分も配信されているから食い入るように観た。コンセプトは『クレイジージャーニー』みたいな感じかと思っていたけれど、また少し違う。両者ともマジなリアルを取材する枠組みの中で、『クレイジージャーニー』はポップさが強めなのに対し、いま観た『グルメリポート』はよりスタイリッシュだと感じた。上手く言えないけれど。

とにかく飯を軸に番組は進む。飯を取材する中でその街の、その国の、その人々のリアルを垣間見ることができる。最初は顔を強張らせたまま取材を受けた女性は、取材をする内に笑顔を向けるようになった。飯を食べてからは、また格段に表情が柔らかくなる。

旅をする者は一様に「食べ物は人を繋げる」と言っていた。よく言われることだけれど、わたしは今まで意味がわかっていなかったようだ。この番組を観て言語や性別を超えた「飯」の繋がりを知った。ギャングもマフィアも別居中の夫も妻も、皆食べることで繋がる。すげー。こんな事、普段の生活で思った事ない。マジでこのテレビのすごさに圧倒される。

ナレーションが一切無いからこそ、小藪の腕も番組の質の良さもわかる。超スタイリッシュ。最高に格好いい。もともと街ブラとかグルメとか、平和で「見流し」やすい番組に興味がなかったが、ヘビーなこのグルメ番組はわたしの心に響きまくった。初めて好んで観ているグルメ番組。それも美味しそうで、真っ当なグルメ番組。

半年前同様、二週連続で放送されるようで4/16。楽しみ。超楽しみ。いい番組を見つけられてほんとうに嬉しい。

きっとまた観られるのは半年後かもしれないけれど、それまで首を長くして待ちます。