塩麹とはなぢ

テレビと音楽をかくときめた

クリープハイプのすべ展にすべりこみで

たくさんの人が初売りみたいに地べたに座って扉が開くのを待っていたり、走ったり人を押しのけたりしていて初っ端から疲れてしまった。ただクリープハイプのすべ展はとてもよかった。

 

 

 

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『愛の標識』ってまさにこの写真通りだと思う。「わかりやすく」するための標識が多すぎてめちゃめちゃ「わかりにくく」なってしまう。愛の欠片を振り撒きすぎて、もう綺麗とは思えないような、落としてしまったグラスの片付けと食い込んだ破片の処理しか考えられないような、一つ一つは愛なのに多すぎる指標がより相手を困らせてしまうそんなイメージ。言葉にするのが難しいんだけど。

 

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あとカラオケルームのタワレコのポスター、きちんと文章を読んだことがなかったかもしれない。クリープらしくて、何より前向きでいいなと思った。最初はクリープの暗さに惹かれていた部分があったけれど、今はすべてひっくるめた上で前へ進む姿に惹かれる。どれも全部好きだし格好いいなと思う。

 

今日は最終日だった。何度も止めようと思っていたけれど行けてよかった。全然アルバム聴き込めてないな。時間がないな。

ただ、忙しい毎日の隙間にあるクリープがとても嬉しい。

懐古できるほどの時間と成長が欲しい

若かった頃を懐古してる人が羨ましい。中高の時あんなバカしたなとか、あの教科が苦手で追試ばっかりだったよとか、そんな事をサラッと笑い話にできるほどの時間と成長が欲しい。

まさに今「懐古される時」を生きている。ただ当のわたしはそんな渦中なんてイヤで、過去として、俯瞰して笑ってるくらいの自分との距離感が一番良く見えてしまう。

「数学がマジでできない」って事実は変わらないけれど時間さえ経ってしまえば話題の1つになっているだろうし、「高校生になってまで鬼ごっこをしたがる」なんて文字に書くだけでも恥ずかしいクラスメイトへの不満を持っている事だってはにかみで済むだろう。

幼稚園の頃は小学生のランドセルが強大なステータスに思えていた。かと思えば小学生の頃は早くランドセルを脱いで肩がけのカバンを持ちたかった。

まさにそんなカンジで、わたしはずっと上の何かに憧れ続けるのだろう。結局、いま羨望する「懐古する側」になったら、「憧れている時」が一番幸せなのだとか思っていそうだ。

でも、今の私はとにかく今を懐かしむことができるほどの時間と成長が欲しい。はあ、何年かかるんだろう。山積みの宿題と対峙しながらこんな事を抜かす私を、いつか笑っていたい。

キリンジを借りた

キリンジは絶対好みだ、というのはわかっていたのだけどタイミングが合わなくて借りられなかったCDを、やっとパソコンに落とした。

ヤバイな。ベスト盤をとりあえず借りてみたのだけれど、ヤバイ。もともと知ってたのは『エイリアンズ』と『雨は毛布のように』だけで、この二つが最高峰だと思っていたのに簡単に翻してくる。半端ない。全て一直線に良い。そこはかとないキリンジの良さが、「溢れ出る肉汁」みたいな、ピンセットで取れるか取れないかみたいな、繊細で込み入った感情をダダ漏れにさせるのだ。

もっと借りようと思っているんだけどね、まだまだいい曲があるんだとわかっているんだけど、あまりにもいいから噛み締めてなかなか次が手をつけられなさそうだな。それはそれでしあわせなんだけど。

万引き家族をみた

万引き家族をみた。いつもの悪い癖で有名になったから観るのをやめようとか一瞬思ったのだけど、やっぱり悪い癖なのだと痛感する、それほどに良い映画だった。

深い海底から太陽を見上げるようだ。重くて暗くて息苦しい筈なのに、人と人が「家族」であるだけで彩りになり、絆を生み、愛となっていた。正しい「繋がり」が必ずしも幸せとは限らないし、歪で今にも千切れそうな「繋がり」が誰かには本当の幸せだったりする。時代にも社会にも取り残された「家族」は、それらが取りこぼした温かさも優しさも持っていて、戸籍とか事実とかそんな事では語れない、窪んだ真実があったように思う。

また、ラストをみて何が幸せかは他人が決める事でないと改めて気づく。本当の幸せなんて自分で決める事で、周りから見える幸せなんてはりぼてにすぎないのだと感じる。正義感に突き動かされる警察官は、事実と真実の行間を読めない。いざ正義を全うすれば、ユリはじゅりとなるだけで鬱屈とした生活を焼き戻しているようだし、そこには愛も優しさも温もりもない。他人から見た事実は全く真実ではないのだ。

あまりに人生経験の少ない私は何を言っても浅はかなのだけれど、ここで変な評論とかしちゃうのもアレだしいいんだこれで。うまくまとめられないしぐちゃぐちゃしてるけど、とにかくいい映画だったな。

ひくつ

とうとう今日、耳をつんざくアイツらが聞こえた。「うるせえ」を筆頭に、心中でボロクソに言いながらトボトボ長い道のりを歩いて家に向かう。

ますます卑屈になる自分が怖くて仕方がない。心の中の口癖は、「もうダメだ」と「私なんか」。最悪である。私のポジティブはどこにあるんだよ。いつ失くしたのだ。もう。なんなんだよ。幼少期はかなりポジティブシンキングだった筈なのになあ。自己肯定感がほぼゼロなのが不思議。別にヤバい環境で育った訳でも親が鬼とかそんなこともなく、むしろ良い生活を送っているのに。なんなんだよー全く。

わたしもアイツらのように、7日の命しかなかったらきっとこんなことで悩んでいないんだろう。生きることに必死で、私がイライラしようが鼓膜が破れようが、彼らは鳴いて鳴いて生命の証を残しているんでしょ。すごいね格好いいな。うるさくてむさ苦しくて嫌悪感しかないセミに学ぶところが多いのもなんだかイヤだけど。

どうすれば卑屈って治るんだろう。多分治らなくていいって心のどこかで思っているのもいけなさそうだなあ。もう。

つんどく

積読本が溜まりすぎた。著名な作家が現代語訳した古文の本、舟を編む、苦汁200%、吉田修一のひなた、世界観文庫。気がつけば溜まりに溜まる本。なんでなんだろう、いつもいつも本が溜まる。時間を見つけては読んでいるのに一向に減らない。

やることずくめの中の安らぎのほんたち。本を読むことができなくなった時期だってあったし、文字を読むことが突然苦痛で仕方なくなった時もあったけど、ずっとここまで一緒に人生を歩んでるってすごいな。そんなことも含めて、やっぱりわたしは文化系な人間だ。運動もそれなりに好きだけど、本当に楽しく感じるのはダラダラしながら本を読んだり映画を観たりテレビを観たり音楽聴いたりとかそういうこと。運動が心から好きな人たち逆にすごい。やっぱり運動をする前にわたしの中には「面倒くさい」がついてるもん。

読んでも読んでも減らない本も、観たらもったいなくてまだ観られていない録画も、毎日を彩るヤツ。好き、あーそんなことばかりしてたい。あー。

ロンハー『有吉先生のタレントマジ相談』をみた

ロンハー「有吉先生のタレントマジ相談」を観た。6年くらい前の。

めちゃくちゃグサグサくる。マジで観てるのもキツイくらい、自分に言われているような気すらした。ただ、有吉先生の厳しい言葉の一つ一つが全てその通りでしかないし、実際「相談者」たちに必要な事しか伝えていない。わかっているけれど認めたくない部分をそのまま言葉にする力、マジで天才的。洞察力の鬼だと改めて思った。

アイドルだから優しくされるだろうし、有吉さんだから話題になれるハズ、とか思ってたキャストだっていたかもしれないけど、そんな考えの真上を飛んで行くような発言の数々。野呂に関しては私的にグサグサくる言葉ばかりだった。実際ひな壇にいたアイドルたちの中で「消えて」いないのは野呂佳代だけなんじゃないのかなあ。今の野呂と出演時の野呂の明らかな違いから、本当に努力をしたのだと感じた。

アレを放送するロンハーに有り難さを感じながら、有吉の言葉の数々を胸にしまって生きようと思う。