塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

貝から教わる色

貝を食べた。アサリの味噌汁を飲んだ。

気づいた、貝には同じ模様のモノが一つもない。柄がOL的なコもいれば、おとなしいけれど野心を持っていそうなコ。色も柄と全く違って、とっても可愛いじゃないか。

貝って人間以上に「十人十色」である。

いやはや、人間は自分のことしか考えていないなあ。どんな生き物も一つして同じモノはないのに、10人に10色ってヒトでしか例えられないなんて。

膝に乗っている愛おしい犬を撫でる。数ある色の中から、元気で優しくて家族思いな色のこの子が我が家に来てくれて良かった。

貝からここまで思わせてくれるなんて。貝ってすげーわ。普段は見落としがちな幸せを掬えて嬉しい。

寝殿造の系統変えるわ

「JKでびゅー」。頭が溶けそうな文字で友人がプリクラに書いてSNSにあげていた。

4月1日。進学する者は次の学年になる日。とうとう私も「でびゅー」したそうだ。ただ、誰が誰だかわからない加工された顔でめいめいポーズをとる友人たちを見ていると、なんだか「無常」を感じてしまう。

いつ恥ずかしくなるのだろう。いつその写真をSNSから消去するのだろう。いつか「今」を苦く感じてしまう日がくるのだろうか。写真の中の加工された笑顔の友人が、その笑顔と目を合わせられなくなる日がくるかもしれないと思うと、何故か無性に胸が苦しくなる。

別にプリを撮る事とか、写真での自分の魅せ方を知っている人を揶揄なんてしていない。むしろすごいなと、尊敬くらいの眼差しを向けている。私はそんなことをするのが恥ずかしくなってしまう性格だから、見守ることしかできない。

「系統変えます」。よく友は言う。寂しいなと毎回思う。無邪気な集合写真をたくさんあげていたあの子は今、写真に薄暗い加工を施し「『病み系』が好き」と豪語する。あんなに素敵な笑顔ばかりだったのに、いつしか中指を立てる事が格好良いと思う価値観になったそうだ。ああ、無常。無情じゃない。無常。我々のめまぐるしい小さな社会には「常」はないらしい。

詠み人知らずも兼好法師も、皆一様に無常を語る。彼らもこんな世界に生きていたのだろうか。「ちょっと寝殿造の系統変えるわ」みたいな会話をしていたのだろうか。そこに寂しさを、無常を感じる先祖は絶対にいたと思う。

またSNSを見る。さっきの写真、よく見たら「JKでびゅー♡」だった。ハートまでつけるか。「でびゅー」の字面の間抜けさは嫌いじゃないけれど、ハートまでつけられちゃうと話は変わる。

お願いだからハートをつけたアナタを、グリグリの目のアナタを、菜々緒レベルな足の長さのアナタを、アナタ自身が笑って蔑む日が来ませんように。そんな寂しいこと、しないでほしい。

3/31オールスター後夜祭

最初から度肝を抜かれた。清原和博スタートはヤバい。このオチも良い意味で裏切られる。タレント名鑑に出てきた紳助似の自称ウド鈴木そっくりさんの流れを思い出した。すごい裏切り。

感謝祭でクロちゃんが本当に食べた物を暴いたり、アナタの記憶でいじり倒したロードを地獄のように小出しにしたり。もうワクワクとドキドキが止まらない。枠組みの中で最大に暴れる藤井健太郎氏の番組、いつ見ても最高である。タレント名鑑、スター名鑑しかり、クイズ番組というテイがあるからこそズラしとのコントラストでさらに笑ってしまう。

途中の四天王しばりのクイズはほとんどわからなかった。あれわかってみたらもっと面白いんだろうな。今までクイズに出てきた人物を、うまい具合に集めてまたクイズにするのもさすがだな、と笑いながらも感嘆した。

そしてガチ相撲トーナメント後夜祭場所。?????の正体がまさかの大砂嵐。マジでテレビ出て良いのってみんなが思ったよこれ。ジョシュ・バーネットとの取り組みはすごかったな。秋にまた復活してほしい。

一番好きだったのは「全員繋がったら73極円 160人連続母親テレフォン」である。73極円、バカな数字すぎる。それに応答を期待する時の一体感や繋がった時の盛り上がりが見ていてとても楽しかった。リアルタイムに行われていることだから、なおさらワクワクした。

藤井健太郎演出の番組、ハズレなんてない。いつも予想のめちゃくちゃ上をいく。あー面白かった。特番でもレギュラー放送のものでも、もっと彼の番組を観たいなあ。

『死にたい夜にかぎって』を読んだ

『死にたい夜にかぎって』を読んだ。ダサい言い方をするけれど泣いて笑える。これマジ。泣いて笑った。

爪切男さんが関わってきた女性を軸に、超体育会系な父の話や前歯のないホームレスとの思い出などが綴られている。

中でも好きだったのは、僅かな毒を着実に蓄積させ目を回してダウンした極貧池下くんのお話、「サルビアの毒」。池下くんともちろん会った事はないけれど、めちゃくちゃに浮かぶ良いヤツ像。でも置かれている立場とか人からの目とかを考えてしまうと、同じヤツと思われたくないのも超わかる。そんなヤツと、蹴りあったりグルグル回ったりしてるのが楽しいと思ってしまうなんて、自分が爪切男さんの立場でも同じように拒絶する事しかできない気がする。ただ、もう話しかけに来なくなった池下くんが一人で目を回しても蜜を吸い続けていたと思うと、胸が締め付けられるような思いになった。どんな気持ちで、どれほどの時間全滅させられるくらいにサルビアをすり減らしてきたのだろうか。美しいだけでなく毒々しさも感じられるサルビアの花がなんともまた、池下くんの花に対する邪道さに似合っていてこの話がたまらなく好きになった。

また、ワンカップ大関のような花瓶でも花に最高に合う男でいようとする爪さんの器にも、どんな時も変わらないアスカへの深い愛を感じた。ここまで言える懐の深い男は、ここまでさせられる魅力的な女は、他にいるのだろうか。

私は、年齢も人間としてもまだ若い中の若い存在である。縮んで骨になる前に、この本を読んだように、良い経験をたくさん積もうと思った。死にたいような夜にぶち当たっても斉藤和義の曲を口ずさめるような強さが欲しいし、白塗りを数学のババアの声やクラスメイトの視線に耐え、潔く洗い流せる勇気が私には輝いて見える。超個人的に、私はベースを弾いていて、フジファブリックも好きだし、風呂は大っ嫌いだからこの本に無駄に共感ばかりしてしまう。共感を覚えるけれど、私の知らない世界も集約されている本に出会えてとても幸せだ。縮む前に出会えて、本当に良かった。

一軍すぎる本棚に可愛らしい表紙の『死にたい夜にかぎって』が当たり前に追加される。本棚も私の心も満たされている。幸せだな。

「余韻がやばい」を知る

余韻。よく若い奴らが言う。余韻がやばいー、とか。そう言う奴いけ好かなかったけれど、今の私は「余韻がやばい」状態っぽい。

そうとう心を持っていかれた映画を観た。観終わってしまったら虚無感でふわふわしすぎてどうしようもなくなってしまった。良い映画を観たからこその虚無。とりあえず寝まくろうと思った。たくさん寝て、起きてる時間を減らす。寝た後は色々変わってるかもしれないし。

変わらなかった。まずたくさん寝たかったのに、昼まで寝ようと思っていたのに色んな弊害に起こされた。しかも心は昨日のままである。めちゃくちゃに持っていかれたまま。これを「余韻がやばい」と言うのだろう。何をするにもふわふわしている。

治しようのない映画を観た後の症状。改善させたい。こんなに持ってかれちゃうって恥ずかしいよな。なんかヤダ。恥ずかしいわ。

いいモノのせいで

いいモノ。音楽、映画、本。良いモノを探し求める。なのに、良いモノに出会うと抜け殻みたいになる。

今抜け殻。小さい時から映画はよく観てたが、毎回心が満たされた後に何故か空っぽになる。空っぽなのに満たされてるし、満たされてるのに空っぽ。それを自覚し始めた頃から、映画は一気観しないようにしていたのだ。忘れてた。今日も一昨日も映画を観てしまった。やべー空っぽ。

満たされてる。最高の映画を観れて幸せだった。なのに、あの時間がもう戻ってこないと思うと心ががらんどう。いま虚無感がすごい。パンフレットを眺めては涙が出て、音楽を聴けば映画を思い出してしまう。

あと一週間はこんな生活を続けそうだ。ふと思い出しては溢れそうな心を守る。守ったら虚無。やべー。映画の影響力やばい。

満たされすぎたせいって、幸せすぎる悩みなのかなあ。

『百円の恋』、『私たちのハァハァ』を観た

  『百円の恋』、『私たちのハァハァ』を観た。最終日でした。

はぁ。圧巻。二本続けて観られるなんて幸せ者でしかない。

映画館の一番前はデメリットしかない、とはてなブログもなんかのアフィリエイトなサイトにも書いてあった。そんなのよく言われることだから知ってたけれど、一番前のど真ん中に座った。初めて一番前、しかもど真ん中。変に大胆なところがある。座った瞬間に後悔した。周りには誰も居ないし、首が痛くて観れたもんじゃないってたくさんのブロガーが言ってたし怖かった。

いざ予告編が流れるもうどうでもよくなった。首は痛くないし、スクリーンを独り占めしているようでなんだかワクワクした。とても良かった。

『百円の恋』、嗚咽をハンカチに託す。観た映画をまた劇場で観る事が初めてだった。

やっぱり思う。大切な映画だ。また馬鹿みたいに泣いたけれど、前回よりも見た後の気持ちがスースーしている。ミントを肺に満たす気分。

一子の変わってゆく姿をまたスクリーンで観ることができてよかった。彼女の闘う姿を見守る人々は、何かしらの形で帽子をかぶっている。まるでスパーリングのヘッドギアのようだ。一子はコンビニや弁当屋の帽子を、ヘッドギアを脱ぎ、リングへ上がる。どんなに痛くても闘う彼女は逞しくて美しかった。格好良かったなあ。また、一子にしてもらった事を精いっぱい不器用にお返しする裕二の姿にも胸を打たれる。ダメ男だし、単純でバカだ。だけど、不器用すぎる優しさが彼にはあって、それが魅力でもある。一子を振り回してさんざん傷つけたけれど彼の焼いたでっかい肉や、離れないように固く手を握る姿を見てしまえば、こいつはダメだ、なんて言えない。

うーん。まだまだ思ったことはたくさんあるけれど、うまく伝えられない。また今度ゆっくり書けたらいいな。とにかく私にとって大切で大切で最高で大切な映画を観ることができて幸せだった。

『私たちのハァハァ』。これははじめたみた。最前列のど真ん中に、孤独なんて感じなくなっていたけれど、気づいたら両端に人が座っていた。安心である。

これも「痛み」が肝。主人公の女子高生四人は誰の心にもいると思った。どの立ち位置にも回ったことがある。そしてどの立ち位置でも、痛みを感じる。女子高生というブランドで、している事の小っ恥ずかしさとか重さをノリとかテンションに乗せて隠す。それは本人たちにとって痛いだろう。苦しいはずだ。

北九州から東京へ、好きなバンドのために家出。金髪に染めてみたり、汚い言葉を使ってみたり。憧れが湾曲して、彼女たちを爆発させる。

爆発のせいで大好きなクリープハイプのファイナルステージでやらかす。ただ、これが本当に彼女たちが求めていたモノだった気もする。モヤモヤは尽きないだろう。ふとした時に思い出しては頭を抱える姿が想像つく。でも痛くてもこれから闘わなければいけない。渋谷を、新宿を、どこでも四人で駆け巡れるように、力はあるのだ。

二本立てで映画を観て体力がなくなるのではないかと初めは思っていた。真逆だ。力をめちゃくちゃに貰っている。日常で磨り減った何かがフルに満たされている。こんなに良い映画を観ることができて幸せで仕方がない。過去の凹んでいた自分が励まされるような気持ち。

うー。良かった。観ることができて良かった。また観たい。幸せだった。今からパンフレットをコロコロ変わる顔色でめくります。ニヤニヤしたり泣いたりするだろうな、楽しみ。