塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

「ぽい」はポイで、ポイしたい

憧れの世界がある。目の前のことをコツコツと一喜一憂しながらでもいいからやっていけば、たどり着ける場所なのだろうか。

あの浅はかな人が言う「憧れ」とわたしが言う「憧れ」、違うと思いたい。こんなことをこんなところで言う時点で自分は相当な野暮だけれど、違うと思っている。浅はかなあの人はいつもヘラヘラ笑っていて、芯がブレていて「それっぽい」モノで満足する。変なの。「ぽい」に惹かれる人の気が知れない。

わたしは、そんな「ぽい」ばかりな方と表向きは同じように「憧れ」を持っているけれど。嫌だ。周りからはこんな事どうでもいいような話だから、別に「ぽい」も「ぽくない」も同じように扱うだろう。やめてよ一緒じゃない。わたしはいつでも本物に近いものを探していたい。「ぽい」で満足したくない。こんなヨーグルトのホエイみたいな気持ち、誰にも掬いようのないヤツだ。ただ、いつでも心の奥にある気持ち、「ぽい」は嫌だ。

それこそ「ぽい」ものって、薄くてすぐ破れるポイと同じ。金魚なんかすくえたもんじゃない。だったら、わたしは恥をかいてでも厚い紙を探し続ける生き方をしたい。100回すくって1匹しか取れないよりは、1回で100匹取れる紙を探したい。わたしの中にある「ぽい」モノなんて全て捨ててしまいたい。ポイしたい。

憧れる気持ちを持つことは素晴らしいことだ。ただ、それが「ぽい」で構成されているものでも満足できる人はつまらない。くだらない。だから私は、いつでもポイみたいな「ぽい」をポイしていたい。自分の手で探し出した厚紙でありたい。