塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

『百円の恋』、『私たちのハァハァ』を観た

  『百円の恋』、『私たちのハァハァ』を観た。最終日でした。

はぁ。圧巻。二本続けて観られるなんて幸せ者でしかない。

映画館の一番前はデメリットしかない、とはてなブログもなんかのアフィリエイトなサイトにも書いてあった。そんなのよく言われることだから知ってたけれど、一番前のど真ん中に座った。初めて一番前、しかもど真ん中。変に大胆なところがある。座った瞬間に後悔した。周りには誰も居ないし、首が痛くて観れたもんじゃないってたくさんのブロガーが言ってたし怖かった。

いざ予告編が流れるもうどうでもよくなった。首は痛くないし、スクリーンを独り占めしているようでなんだかワクワクした。とても良かった。

『百円の恋』、嗚咽をハンカチに託す。観た映画をまた劇場で観る事が初めてだった。

やっぱり思う。大切な映画だ。また馬鹿みたいに泣いたけれど、前回よりも見た後の気持ちがスースーしている。ミントを肺に満たす気分。

一子の変わってゆく姿をまたスクリーンで観ることができてよかった。彼女の闘う姿を見守る人々は、何かしらの形で帽子をかぶっている。まるでスパーリングのヘッドギアのようだ。一子はコンビニや弁当屋の帽子を、ヘッドギアを脱ぎ、リングへ上がる。どんなに痛くても闘う彼女は逞しくて美しかった。格好良かったなあ。また、一子にしてもらった事を精いっぱい不器用にお返しする裕二の姿にも胸を打たれる。ダメ男だし、単純でバカだ。だけど、不器用すぎる優しさが彼にはあって、それが魅力でもある。一子を振り回してさんざん傷つけたけれど彼の焼いたでっかい肉や、離れないように固く手を握る姿を見てしまえば、こいつはダメだ、なんて言えない。

うーん。まだまだ思ったことはたくさんあるけれど、うまく伝えられない。また今度ゆっくり書けたらいいな。とにかく私にとって大切で大切で最高で大切な映画を観ることができて幸せだった。

『私たちのハァハァ』。これははじめたみた。最前列のど真ん中に、孤独なんて感じなくなっていたけれど、気づいたら両端に人が座っていた。安心である。

これも「痛み」が肝。主人公の女子高生四人は誰の心にもいると思った。どの立ち位置にも回ったことがある。そしてどの立ち位置でも、痛みを感じる。女子高生というブランドで、している事の小っ恥ずかしさとか重さをノリとかテンションに乗せて隠す。それは本人たちにとって痛いだろう。苦しいはずだ。

北九州から東京へ、好きなバンドのために家出。金髪に染めてみたり、汚い言葉を使ってみたり。憧れが湾曲して、彼女たちを爆発させる。

爆発のせいで大好きなクリープハイプのファイナルステージでやらかす。ただ、これが本当に彼女たちが求めていたモノだった気もする。モヤモヤは尽きないだろう。ふとした時に思い出しては頭を抱える姿が想像つく。でも痛くてもこれから闘わなければいけない。渋谷を、新宿を、どこでも四人で駆け巡れるように、力はあるのだ。

二本立てで映画を観て体力がなくなるのではないかと初めは思っていた。真逆だ。力をめちゃくちゃに貰っている。日常で磨り減った何かがフルに満たされている。こんなに良い映画を観ることができて幸せで仕方がない。過去の凹んでいた自分が励まされるような気持ち。

うー。良かった。観ることができて良かった。また観たい。幸せだった。今からパンフレットをコロコロ変わる顔色でめくります。ニヤニヤしたり泣いたりするだろうな、楽しみ。