塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

4/11水曜日のダウンタウンこち亀SP

疲れ果てた身体のまま録画の再生ボタンを押す。疲労が取れる取れる。腹を抱えて、息ができなくなるくらい笑った。『毒素が出る』ってこんな事なのだと、普段使いもしない言葉がすぐ出てくる自分に驚く。超スッキリした。

OPがやはりすごかった。まだ細かく見きれていないけれど、胸熱な回が凝縮されていた。BPOに太い線が引かれていたのはアガった。その太い線が両さんの眉毛の前振り的になっていてさすがとしか言えない。やはり今回も、スペシャルver.のOPはファニーともインタレスティングともとれる面白さがある。いつでも最高なのだ。

またキャスティングも気になった。木下優樹菜鈴木ふみ奈があんな形で再開するなんて興奮を隠せない。枕詞的に木下優樹菜鈴木ふみ奈みたいになっているのが面白い。そして「すべらない話」なゲストの心強さ。「いつどこで何をするゲーム」がめちゃくちゃ盛り上がっていたのも彼らの力が大きいのかもしれない。最後はザ・バラエティな感じで直球に笑えた。アレを生で観ていたら、笑いを超え感動すらしていただろうと思った。

特に心に突き刺さった「街中でゴルフをやったら面白くなるのか?」検証。成立するのか?でも上手くいくのか?でもなく、「面白くなるのか?」。あくまで面白いかどうかが重要なのだ。とても興味深いモノになったこの企画は、まさにバラエティとスポーツのいいとこ取りである。手に汗握りながら笑う。ミラクルな部長ショットや室外機の天丼、どれも期待を裏切らない面白さ。予測不能な展開。マジでスポーツとバラエティの「面白さ」を一度に味わえる。これはどのスポーツ番組でもバラエティ番組でも観られるものではないのだ。

検証結果「やってる本人たちはとても楽しそうだった」、スタッフは大変だった感も出つつ、「面白い」という事をこのワードを使わずに表現する水曜日のダウンタウンの巧妙な手口。心の住民のボルテージは最高潮である。すげー面白い。天才。最高。素敵。

「ダメだったらダメなまま面白くする」とよく藤井健太郎氏は言うが、マジで見せ方がうますぎる。薄々勘づく「ゴミ屋敷の住人を催眠術でキレイ好きにすることは出来るのか?」検証。キレイ好きになったと思いきや、いつもの「商品」発言。ソコに至るまでのくだりを最高に期待させて裏切る手立てに視聴者は振り回される。いい振り回されっぷりである。不快感は伴わないしあわせな振り回され。小ネタ感満載なこういう企画も大好きだ。

だらだら感想を述べたが、とにかく面白かった。来週は確実に面白い第二弾系が多くて楽しみ。何より「岩兵衛」の説。聞いた瞬間に笑うしかなかった。あー楽しみ。毎週水曜楽しみ。

今日は最高の気分で寝られそうだ。

幼稚園児とこち亀と水曜日

今日は水曜日のダウンタウンの日。やる事がありすぎてリアルタイムで絶対観られない。死ぬほど悲しい。録画はもちろんしてるけどリアタイで観たいじゃないか。

2時間スペシャルでコラボするとは思っていなかったこち亀。小さい頃からアニメをバカみたいに観てたなあ。

私が幼稚園生だった頃。母親は育児疲れで寝てばかりいた。面倒な上に遠い幼稚園に通っていたせいで、疲労マックスの親は帰宅後すぐ眠る。仕方がない事だったが、昼下がりの家には話し相手も遊び相手も居なかった。そんな私は必然的にテレビに齧り付いた。親が寝てばかりで嫌なこともあったけれど、不思議と寂しくなかった。むしろテレビの邪魔をされたくないから起きるな、という気持ちもあったかもしれない。

NHKの中学理科講座からこち亀まで。なんでも観ていた。幼稚園児の割にめちゃくちゃ漢字が読めたのはテレビのおかげである。年中の時に、「暫定」を使いこなしていた実績もある。

小さな私はジャンルをマジで問わないテレビの見方をしていた。興味が湧くもの、好きなものだけを観る。プリキュアの後にこち亀五話連続を観て、スヌーピーを観た後にNHKの講座を見る。今思うと垣根を越えすぎなルーティーンだった。その中でも幼稚園児的一軍アニメがこち亀。すごい好きだった。今観ても当たり前に面白い。当たり前に。

気がつけば、私は何も変わらずにテレビが大好きなままである。NHKの講座は観なくなったけれど、面白い深夜のバラエティを知った。大好きな水曜日のダウンタウンが齧り付いていたこち亀とコラボすることになった。好きなものはなんでも繋がるものである。点と点が繋がる感覚ってこれだわ。

小さな孤独と暇を押し潰すために観ていたテレビが、今になって自分を支えるレベルに大きな存在になっている。思い出深いこち亀と、大好きな水曜日のダウンタウン。今日はリアタイで観られないけれど明日、クタクタで帰宅して幸せになれるならもうそれでいいや。楽しみ。OPも楽しみで仕方がない。

あの頃の小さな私に教えてあげたい。喜ぶだろうな。あー今日はやる事やって早く寝よ。

良くはないが悪くもない

疲れ切ってバスに乗る。あー疲れた。頭痛も酷い。グワグワしている。

今日はお昼をある会の人々で食べに行ったが、たらふく食わされた挙句に得るものはカロリーくらいしかなかった。

自分でも驚くくらい低い声でバスの運転手に最寄りの駅を告げた。疲れてる。かなり疲弊。

バス内は殆ど席が埋まっていた。唯一空いていた優先席に、若造が座ることに抵抗がないフリをして静かに座る。ただ、座った後すぐに私よりも優先席が必要な方が現れた。立とう。重い腰をあげる。ありがとう、と伝えてくれたことが若造なりに嬉しく思った。

疲れ切った中でも、ありがとうの余韻に浸りたかった。しかし立ってから気づいた。少し奥には知り合いがいるじゃないか。あまり話さない人だからバレないようにしなければ。もう面倒だ。疲れ倍増。ていうか目があった。知らないフリをする。お互い重荷になる。面倒中の面倒。それに加え無駄にバスの運転が荒い。インドバスだからってボリウッドみたいに激しくしたいのか。許さないぞ。ここまできたら本気で許さない。

そもそも今日はツイていない。そのせいにしたいけど、ご飯を食べた時も悪気で言った訳ではないだろう嫌なことを言われた。まったく。密かに根に持っている。悲しい。また自信をなくす。悪気でないというのもまた悲しくなるポイントである。

家に着く。見たくない現実だが、安いイタリアンに体重をめちゃくちゃ増やされた事を知る。悲しい気持ちでパジャマに着替えた。

物理的にも心理的にも重すぎる身をソファに投げ出した。犬が腹を出して帰りを祝してくれた。あー家っていいわ。マジでいい。疲れが取れていくのがわかる。こんなにツイてないけど、体重ヤバいけど、まあいいのかなとすら思える。もう屍のように寝転がって、テレビの録画を見て今日のツイていない日を塗りかえよう。なんだか、いまが幸せに思えてきた。もしかしたらツイていない現実は、今を幸せに感じる為の前フリだったのかな。

今日一日、決して良くはないが悪くもない。

貝から教わる色

貝を食べた。アサリの味噌汁を飲んだ。

気づいた、貝には同じ模様のモノが一つもない。柄がOL的なコもいれば、おとなしいけれど野心を持っていそうなコ。色も柄と全く違って、とっても可愛いじゃないか。

貝って人間以上に「十人十色」である。

いやはや、人間は自分のことしか考えていないなあ。どんな生き物も一つして同じモノはないのに、10人に10色ってヒトでしか例えられないなんて。

膝に乗っている愛おしい犬を撫でる。数ある色の中から、元気で優しくて家族思いな色のこの子が我が家に来てくれて良かった。

貝からここまで思わせてくれるなんて。貝ってすげーわ。普段は見落としがちな幸せを掬えて嬉しい。

寝殿造の系統変えるわ

「JKでびゅー」。頭が溶けそうな文字で友人がプリクラに書いてSNSにあげていた。

4月1日。進学する者は次の学年になる日。とうとう私も「でびゅー」したそうだ。ただ、誰が誰だかわからない加工された顔でめいめいポーズをとる友人たちを見ていると、なんだか「無常」を感じてしまう。

いつ恥ずかしくなるのだろう。いつその写真をSNSから消去するのだろう。いつか「今」を苦く感じてしまう日がくるのだろうか。写真の中の加工された笑顔の友人が、その笑顔と目を合わせられなくなる日がくるかもしれないと思うと、何故か無性に胸が苦しくなる。

別にプリを撮る事とか、写真での自分の魅せ方を知っている人を揶揄なんてしていない。むしろすごいなと、尊敬くらいの眼差しを向けている。私はそんなことをするのが恥ずかしくなってしまう性格だから、見守ることしかできない。

「系統変えます」。よく友は言う。寂しいなと毎回思う。無邪気な集合写真をたくさんあげていたあの子は今、写真に薄暗い加工を施し「『病み系』が好き」と豪語する。あんなに素敵な笑顔ばかりだったのに、いつしか中指を立てる事が格好良いと思う価値観になったそうだ。ああ、無常。無情じゃない。無常。我々のめまぐるしい小さな社会には「常」はないらしい。

詠み人知らずも兼好法師も、皆一様に無常を語る。彼らもこんな世界に生きていたのだろうか。「ちょっと寝殿造の系統変えるわ」みたいな会話をしていたのだろうか。そこに寂しさを、無常を感じる先祖は絶対にいたと思う。

またSNSを見る。さっきの写真、よく見たら「JKでびゅー♡」だった。ハートまでつけるか。「でびゅー」の字面の間抜けさは嫌いじゃないけれど、ハートまでつけられちゃうと話は変わる。

お願いだからハートをつけたアナタを、グリグリの目のアナタを、菜々緒レベルな足の長さのアナタを、アナタ自身が笑って蔑む日が来ませんように。そんな寂しいこと、しないでほしい。

3/31オールスター後夜祭

最初から度肝を抜かれた。清原和博スタートはヤバい。このオチも良い意味で裏切られる。タレント名鑑に出てきた紳助似の自称ウド鈴木そっくりさんの流れを思い出した。すごい裏切り。

感謝祭でクロちゃんが本当に食べた物を暴いたり、アナタの記憶でいじり倒したロードを地獄のように小出しにしたり。もうワクワクとドキドキが止まらない。枠組みの中で最大に暴れる藤井健太郎氏の番組、いつ見ても最高である。タレント名鑑、スター名鑑しかり、クイズ番組というテイがあるからこそズラしとのコントラストでさらに笑ってしまう。

途中の四天王しばりのクイズはほとんどわからなかった。あれわかってみたらもっと面白いんだろうな。今までクイズに出てきた人物を、うまい具合に集めてまたクイズにするのもさすがだな、と笑いながらも感嘆した。

そしてガチ相撲トーナメント後夜祭場所。?????の正体がまさかの大砂嵐。マジでテレビ出て良いのってみんなが思ったよこれ。ジョシュ・バーネットとの取り組みはすごかったな。秋にまた復活してほしい。

一番好きだったのは「全員繋がったら73極円 160人連続母親テレフォン」である。73極円、バカな数字すぎる。それに応答を期待する時の一体感や繋がった時の盛り上がりが見ていてとても楽しかった。リアルタイムに行われていることだから、なおさらワクワクした。

藤井健太郎演出の番組、ハズレなんてない。いつも予想のめちゃくちゃ上をいく。あー面白かった。特番でもレギュラー放送のものでも、もっと彼の番組を観たいなあ。

『死にたい夜にかぎって』を読んだ

『死にたい夜にかぎって』を読んだ。ダサい言い方をするけれど泣いて笑える。これマジ。泣いて笑った。

爪切男さんが関わってきた女性を軸に、超体育会系な父の話や前歯のないホームレスとの思い出などが綴られている。

中でも好きだったのは、僅かな毒を着実に蓄積させ目を回してダウンした極貧池下くんのお話、「サルビアの毒」。池下くんともちろん会った事はないけれど、めちゃくちゃに浮かぶ良いヤツ像。でも置かれている立場とか人からの目とかを考えてしまうと、同じヤツと思われたくないのも超わかる。そんなヤツと、蹴りあったりグルグル回ったりしてるのが楽しいと思ってしまうなんて、自分が爪切男さんの立場でも同じように拒絶する事しかできない気がする。ただ、もう話しかけに来なくなった池下くんが一人で目を回しても蜜を吸い続けていたと思うと、胸が締め付けられるような思いになった。どんな気持ちで、どれほどの時間全滅させられるくらいにサルビアをすり減らしてきたのだろうか。美しいだけでなく毒々しさも感じられるサルビアの花がなんともまた、池下くんの花に対する邪道さに似合っていてこの話がたまらなく好きになった。

また、ワンカップ大関のような花瓶でも花に最高に合う男でいようとする爪さんの器にも、どんな時も変わらないアスカへの深い愛を感じた。ここまで言える懐の深い男は、ここまでさせられる魅力的な女は、他にいるのだろうか。

私は、年齢も人間としてもまだ若い中の若い存在である。縮んで骨になる前に、この本を読んだように、良い経験をたくさん積もうと思った。死にたいような夜にぶち当たっても斉藤和義の曲を口ずさめるような強さが欲しいし、白塗りを数学のババアの声やクラスメイトの視線に耐え、潔く洗い流せる勇気が私には輝いて見える。超個人的に、私はベースを弾いていて、フジファブリックも好きだし、風呂は大っ嫌いだからこの本に無駄に共感ばかりしてしまう。共感を覚えるけれど、私の知らない世界も集約されている本に出会えてとても幸せだ。縮む前に出会えて、本当に良かった。

一軍すぎる本棚に可愛らしい表紙の『死にたい夜にかぎって』が当たり前に追加される。本棚も私の心も満たされている。幸せだな。