塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

アルカリ金属でもいい

学生という側面、妹という側面、ココに書いている側面、私はどんな立体図形になれるのだろう。思いつく限り大きい側面はこれくらいしかないけれど、誰かから見たらもっとあるものなのだろうか。もっと面の多い図形なのだろうか。

誰かに知って欲しい。誰かに読んで欲しい。誰かに聞いて欲しい。こんなに「欲しい」ばかりだけれど仕方ない。誰かに見てもらえるだけで心は満たされる。承認欲求とは違うと思いたい。

好きなものに囲まれてあたたかい部屋に居られる事は幸せだ。でもなんだか満たされない。自分の思っている事を吐き続けないとどうにかなってしまいそうだ。「あの人は〜」とかまた自分と比べて、自分を突き放しそうになる。それも何度も。

不安定な私はいつ安定するかも爆発するかもわからない。お前はアルカリ金属なのか。恐ろしい。おっかない。それに常に綱渡りで、平らなハイキングコースではなく険しい山道ばかりを選んでしまう。

でもある人にそれでいいんだ、と言われた。不安定で険しい道ばかり選んでアルカリ金属みたいな私で。嬉しいとかじゃなかった、その一言が聞きたかったのかもしれない。ふう、と心が休憩室に入って安らいでいるようだった。私の側面はザラザラで手触りが悪いけれど、その側面が何枚あるかすら知らないけれど、それでいいんだ。やっぱりバカボンは天才だな。それでいいのだ、そう。天才。この一言で心が楽になる。

どこかの湖のほとりを歩きたいくらいに脳がアレだったけれど、もうそんなことない。何か吐き出すと楽になる。それでいいんだ。誰かが毎日これを見ていると思うだけで心が安らぐ。それでいい。