塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

真面目に「AD」

真面目と言われても。真面目ってなんだまず。真面目な部分が見られないように日々生きているのに。ていうかそれは普通じゃないのか。

真面目って言葉、マジで好きじゃない。「真面目だね」は、それ以外の評価を飲み込んでしまう程のヤツ。なのにちょっと負すら感じる「褒め言葉」である。おかしい。

藤井健太郎さんの著書で、ADは100点を取れるがDは100点を取れたと思ったら終わり、という事を仰っていた。雷に撃たれた気持ちになった。とても良い言葉だと思った。

私は今ある委員でAD側にいる。だから、100点を取り続けられるように努力している。D側の人間の求めている事を考えて、求められた事以上をしたい。私はかなり楽しんで「AD」をやっている。なのに、皆は嫌な仕事に思えるようで、また「真面目だね」。うるせー。うるせーよ。楽しんでんだよ。

私自身馴染めてない訳でも、浮いてるとかそんな事もない。むしろ溶け込んで自分色を出せているから、変なヤツにとりあえず言う「真面目だね」とは、違う。

人の嫌な仕事を楽しむ素ぶりを見せないようにしていても、滲み出てしまうのなら、それでいいのかなあ。だって真面目なことも楽しんでいることも見せたくて見せてる訳じゃない。恥ずかしいし。ただ、周りに合わせつつ自分のしたい事をするのはとても大変なことで、いつも心をすり減らしている。

ダサい街へまた行くけれど、今日は自分のしたい事が出来ればいいな。そんな事をダサい街までの道のりで思った、思えた。