塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

電子レンジみたいな漫画

とある漫画を読んだ。ボロボロ涙が出た。驚くほど涙が出た。

ある人に絶対読めと渡された素敵な漫画。出版されてから30年以上も経った「古い」モノなのに私には「真新しい」世界だった。

短めの漫画がいくつも入っていて、大体の作品に女の子が出ている。皆違うタイプだけれど、どこか似ていて、どこか尖っている。

わたしは、電車の中で「嫌い」を言っていく女の子のお話がとても好きだった。年寄りが嫌い女が嫌い、そんな事を言う彼女は嘘つきが好きだと言う。強い嘘つきになりたい、そう思っている。荒波に揉まれながらも、どうにか強がっている。

自分は強がりきれない。恥を捨てて強がることができない。もしかしたら、よっぽど強がる人より恥ずかしい奴なのかもしれない。だから私はそんな「嫌い」ばかりの彼女に惹かれてしまうのだろう。

そんなつもりじゃなかったのにボロボロ出る涙は止められなかった。泣きたくないのに出てきた。心の中の負の何かが冷蔵庫に入ったバターみたいになっていたけれど、どんどん溶けて沁みこんだ。素敵な作品だ。温かかった、電子レンジみたいな、無限ワットな電子レンジ。

良いものに出会えたな、またそう思えて私は嬉しい。

もってる人の特権、脳天トンボ

小学校の頃、一つ上の学年で「いじられキャラのめっちゃもってる人」がいた。名前も顔も覚えていないが存在は覚えている。

修学旅行の日。四年生から六年生まで同時期に各場所へ修学旅行をするようになっていたので、学校集合をした3学年はごった返していた。

私は四年生だったと思う。ようやく整列をして校長に挨拶をして近くの駅やバス停に出発しよう、そんな時に「めっちゃもってる人」の頭にトンボが止まった。ずっと動かない。頭を軽く振っていたが動かない。「もってる人」の同学年からは爆笑の嵐。収集がつかなくなりかけた事に危機感を覚えた先生が、無理やりトンボを追い出したけれどこのままいけば一緒に旅ができたのかもしれない。暑くなりはじめたあの時期にぴったりの、力が抜けるような出来事だった。

「もってる人」にはトンボがつくものなのか、当時の私の小さい脳にはそう刷り込まれた。そしてその小さい脳で、極限に素直な気持ちで「もってる人」になりたいと思った。理由はもちろんない。

いつかなあこれも。覚えていない。四年前くらい。何かしてた時。校外学習で割と真面目な会だった気がする。その時は夏と秋の間で暑くはないけれど涼しくもない、どっちつかずな時期。

頭に違和感がある。ベビースターみたいなヤツに掴まれている。なにこれちょっと気持ちいいけど、なにこれ。

気づいたら、一緒に行動していた友人が声にならない笑い声を出していた。その友人が揺れる腹筋に抗ってどうにか発した言葉「トンボ」。マジか、私にもトンボがつくのか。嬉しかった。もってる人になれたのだ。奇妙な光景に、クラスメイトが集まってきてちょっとした珍事件になってしまった。ただ当時の私は昆虫と触れ合う事に異常な恐怖を抱いていたので、めちゃくちゃ驚いたせいですぐに飛び立ってしまったけれど。

きっとマヌケな姿だったのだろう。脳天にトンボ。もちろん普通に見りゃマヌケ。でも、その時の私にはどんな勲章よりも輝いて見えた。もってる人。嬉しい。奇跡を起こす人になったのだ。よっしゃ。

未だに忘れられない記憶。もしかしたら嘘なのではないかと思うくらい曖昧な記憶だが、事実である。

なんであんなに「もってる人」になりたかったかは覚えていない。でも、時々「もってる」出来事があるとあの茜色のトンボを思い出す。あの夏でも秋でもない空を思い出す。息をする事に必死になる程笑った隣の友人を思い出す。

あの「もってる人」は元気かなあ、トンボのこと覚えてるのかなあ、あなたが覚えてなくても私が覚えているけれど。衝撃の「もってる人」だったから、全く忘れられないけれど。

水曜日のダウンタウン次週予告をみた

やだ燃える、バンバン答えたい。いや答えられるかなあ。YouTubeを見て思った。これ。

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水曜日のダウンタウン』が改編期になると毎回視聴者を別角度でワクワクさせるのだ。

やばいって。今からまた愛おしい撮り溜めを観るか。もうファンの気持ちわかりすぎだろう、このワクワク感やばい。燃えるよ、超燃える。藤井さんすごすぎだって。何度も言ってるけどマジですごいマジで。マジ。あの方の番組全てやばい。『チーム有吉』の小梅とクロちゃんとアニマルが一堂に会した時のワクワク感。超楽しみ。

「説の入り口と出口全然違うヤツ結構ある説」名前も秀逸。予告だけでこんなに笑える番組はない。おかしい。「後味の悪い結果となった」に対して同時にツッコミを入れるダウンタウンも最高。

今回はOPは普通なのだろうか、前は『水曜日のダウソタウソ』とかでめちゃ格好良いモノになってたけど、どうなんだろう。どっちみち今回は普通でも普通じゃなくても心昂ぶる。楽しみすぎる。

あと何回私は「改編期の特別なヤツ」を見れるのだろう。番組が続く事の難しさを改編期に毎度知る。あの長寿番組も終了したり、深夜のバカやる番組も1クールで終わったり。ただ、こんなイカしてる番組をこの時代にオンタイムで見られている事に感謝しよう。それでより長くこの番組が続く事を祈る。あー最高。水曜楽しみー。

次週予告

「クロちゃんは嘘つき」この検証結果の説タイトルは?? 3/28(水)『水曜日のダウンタウン』【TBS】 - YouTube

MASKMENを観て

MASKMENが終わった。終わってしまった。なんだこれ。格好良かったなあ。

まずオープニングのマンウィズとスカパラのコラボした楽曲「Freak It! 」がアガる。斎藤工の格好良さを簡潔に説明してる感じ。

普段ドラマをほとんど観ない自分が久しぶりに一話から観た。くっきーと斎藤工、想像つかないけど絶対に合うじゃん!そう思って毎週録画を「決定」したあの日が懐かしい。マジ面白かった。大正解。

人印になる事を決意した日、苦悩に振り回されていた日々、フェイス・ザ・チャンスになった日、ベンジャミン・ボーナスの執事になった日、全て斎藤工の「顔」が違う。それこそ変面。生き方が俳優だと思った。普段から相当素敵な彼が一番格好良かったのは執事の時。良い顔をしていた。一番面白かった。一番いきいきしていた。

わかりづらい人印、わかりやすいけれど笑いどころの少ないフェイス・ザ・チャンス、そして最後の集大成、くっきーが関わっているネタにしては可愛いらしいな、と思わせたところにアイアンメイデン。さすがです。いつでも期待を裏切らない。バタフライナイフまで活用してくるあたり、人印の精神も受け継いでいる。

時にはエンディングを歌う本物のToshlに芸人として出てもらったりして、予測不可能な展開ばかりのドラマだった。スイーツを頬張るToshl、そこにはアンビバレントな面白さが集約されていた。そのエンディング「マスカレイド」も素晴らしい。荘厳。決意を持って行動を起こす者の孤独も武者震いも全て包み込んでくれるようだ。アガるオープニングに包み込むエンディング。最高だ。

「ドキュメンタリードラマ」という曖昧な位置にある事によって、マスクを受け取る各国の子供たちや手塚とおるのシーンもすんなり入る。賢い番組だこりゃ。

こんなドラマを観たことはない。これから先なかなか観られない気がする。演者も番組も挑戦し続けていてその姿が勇ましかった。格好良かった。最後に斎藤工が「マスカレイド」を歌う演出にグッときた。テレ東すげーな。本当に面白かったドラマだった。

夢うつつ

朝、起きる。無駄な不快感と共に、頭が枕と真反対の位置にあると気づく。

小さい頃寝相がヤバかった。ベッドで寝ていると落ちる事の方が多かった。それでもだんだん改善してきたように思えたのだが、久しぶりの真反対寝相。私は昨夜の間、どうやって真反対にシフトチェンジしたのだろう。その瞬間が見たい。

昨日は家に眠っていた最古のテレビブロスに読み入っていた。そこまでの記憶しかない。目を閉じたタイミングを全く覚えていない。えー。不可解。ある人は、真反対になる寝相は、寝ている本人がむくっと起き上がって枕から反対側にまた寝るからだ、と言っていた。そうだったらなぜ私はあんなにいい感じに布団を纏っていたのだろう。

夢うつつでも、我々はきっと恐ろしいくらい冷静な意識を持っているのだ。もしかしたら、日常なんかよりもうつつすぎる自分が出てくるのかもしれない。夢ってまだわからない事も多いらしい。すごいな、もう精神世界だなこれ。科学で証明出来るそういうヤツって夢だけなのかな、すごい。興味深い。

とりあえず愛おしい休日を存分に抱きしめて、うつつすぎる自分を探りながらまた最古のテレビブロスを読む。あー幸せだな今。

カラオケ恐怖症のデスボイス

カラオケが怖い。今日、友人二人が大声でその美声を披露していたが、私には学生ノリで普段から歌を歌える事にも驚きが隠せない。

未だにカラオケが好きな人種が本当に存在するのか疑ってしまう。大半を占めるのはカラオケ好きな人間だという事が、マジで信じられない。人間のほとんどがカラオケは苦手だけどいかなきゃいけない娯楽として行っているものだと思っていた。実際にはみんな本当に歌う事が好きらしい。怖。

拗らせた自意識がグズグズ言うせいで、誰も大して自分の歌声に興味は無いのに無駄に緊張する。歌い切るまでに恥が身体中の汗腺から出てきそうになる。一生マイクが回ってくるなと思う。仮に私が歌うとしても、みんなトイレに行って欲しい。タンバリンやマラカスを持って無理に盛り上げないで欲しい。歌いたがらない事にも気を遣わないで欲しい。

なんて自分はワガママなのだろう。でも、薄暗い中に派手な明かり、陽気な密室、襲ってくる楽曲たち、まるで生き地獄だ。派手めの地獄。盛り上げる道具もたちまち派手な拷問道具に変わる。やめてくれ。原宿の地獄ならまだわかるけれど、各所にそんな地獄を置かないでくれ。

嫌すぎて涙を流そうものならめちゃくちゃ変な空気になる。必死に隠すけれど、泣いてまで行くような所じゃない。そんなつもりでカラオケの創始者は立ち上げた訳じゃない。だのに、何故だ。マジで苦手。マジで。決して音楽が嫌いなのでない。むしろ好き、大好き。こんなにカラオケが苦手で苦痛で、心が逃げ出したく思うのは何故なんだ。永遠の謎。

同士の叫びは検索をすれば出てくる。ザクザク出てくる。安心する、共に戦いたくなる。だから私も叫ぼうと思った。マイク越しでは叫べないけれど、文面ならデスボイスだ。それになんだって言える。カラオケに対する恐怖、開けない心、全てデスなメタルに乗せている。強いぞ今。なんか強い気がしてきた。カラオケが怖いだけの小さな人間だけど、叫んでいる。

誰か、誰でもいい、私のこの恐怖を受け取って欲しい。それで少しでも安心して欲しい。同士です。のたうちまわって逃げ出したくなっても、共に戦いましょう。

アルカリ金属でもいい

学生という側面、妹という側面、ココに書いている側面、私はどんな立体図形になれるのだろう。思いつく限り大きい側面はこれくらいしかないけれど、誰かから見たらもっとあるものなのだろうか。もっと面の多い図形なのだろうか。

誰かに知って欲しい。誰かに読んで欲しい。誰かに聞いて欲しい。こんなに「欲しい」ばかりだけれど仕方ない。誰かに見てもらえるだけで心は満たされる。承認欲求とは違うと思いたい。

好きなものに囲まれてあたたかい部屋に居られる事は幸せだ。でもなんだか満たされない。自分の思っている事を吐き続けないとどうにかなってしまいそうだ。「あの人は〜」とかまた自分と比べて、自分を突き放しそうになる。それも何度も。

不安定な私はいつ安定するかも爆発するかもわからない。お前はアルカリ金属なのか。恐ろしい。おっかない。それに常に綱渡りで、平らなハイキングコースではなく険しい山道ばかりを選んでしまう。

でもある人にそれでいいんだ、と言われた。不安定で険しい道ばかり選んでアルカリ金属みたいな私で。嬉しいとかじゃなかった、その一言が聞きたかったのかもしれない。ふう、と心が休憩室に入って安らいでいるようだった。私の側面はザラザラで手触りが悪いけれど、その側面が何枚あるかすら知らないけれど、それでいいんだ。やっぱりバカボンは天才だな。それでいいのだ、そう。天才。この一言で心が楽になる。

どこかの湖のほとりを歩きたいくらいに脳がアレだったけれど、もうそんなことない。何か吐き出すと楽になる。それでいいんだ。誰かが毎日これを見ていると思うだけで心が安らぐ。それでいい。