塩麹とはなぢ

身の回りの小さきを愛す

長髪からみた手の甲の刺青

手にメモをよく書いてしまう。ひらよりも手の甲に書いてしまう。

ある日、ダサい街からダサい通りを通っていつものように帰っていた。時代に乗れなかった韓国料理店やハワイもどきの店が並ぶ通りの終盤には、明らかに異質でヤバい骨董品店がある。

店先に出ていた骨董品店の店主を見て確信した、やっぱりヤバい人だわ。掃除をしていただけなのに、別に悪いことをしていないのにめっちゃ怪しい。長髪の怪しいヤツを思い浮かべてほしい。まんまその店主。友人二人と帰っていたが、他愛もない会話の裏に少しの緊張が走っていた。絶対私たちの胸中は(怪しすぎるアイツ)で一致していたはずだ。

話しかけられたくない。話しかけられる理由はない筈だけれど、心からそう願っていた。

「ちょっとそこのお嬢さん」。きた。まさか。マジか、え。怖。気づいていないフリをして小走りをしてもダメだった。呼び止められた。こえーよ。

長髪店主の友人が書道展を開くから宣伝してほしい、とそれだけの内容だった。早く終わらせたかったから、謎のチラシもたくさん貰った。

何より衝撃だったのは、手の甲にメモをたくさんしていた私に対して、「あんた刺青してるの?」。

ガチで聞かれた。長髪はヤバい奴だけど、ちょっと遠慮気味に聞いてきた。ヤバいなりに気を遣ってまで「刺青かどうか」を聞きたかったとか、脳天から爪先までヤバい奴だな。だって圧倒的に刺青な訳ないだろ。「数学ノートもってくる」なんて刺青をする人はいますか。いません。絶対にいません。私が刺青をするとしても、そもそもそんなの彫らない。

マジで忘れられない。なぜか今日、ふと思い出した。

その書道展のチラシは、友人もおかしくなっていたのか怨念が付いてるとか言って、駅のゴミ箱に捨てていた。勿体ない気もするが、正しい気もする。あの長髪の威圧感はすごかったな。ホンモノの骨董品店店主って感じ。いい思い出。刺青、骨董品、長髪、この言葉を見るだけで思い出す。

記憶に住み着いてしまったあの骨董品店。今度通った時には内装までよく見てみようかなあ。

ガビガビの唇

毎日が忙しくて疲れていると、唇が荒れる。逆に春休みのいま唇はめちゃくちゃ潤ってる。

流行りに乗っては乗り捨てて、そんなせわしない友人を見ているとなんだかガビガビの唇みたいだなと思う。流行りとか疲れる。私には毎回それに乗っている体力がないから、全体をサラーっと知られたなら深めようと思わない。思えない。いろんな所をガビガビにしてまでっていうのも面倒だなあなんて思う。

根っからの面倒くさがりは良くないな。抑えるところは抑えて、乗り遅れた奴にはなりたくないけれど、乗ってる奴にもなりたくいな。まーどうでもいいな、流行りなんてガビガビの唇程度の話だし。

「ぽい」はポイで、ポイしたい

憧れの世界がある。目の前のことをコツコツと一喜一憂しながらでもいいからやっていけば、たどり着ける場所なのだろうか。

あの浅はかな人が言う「憧れ」とわたしが言う「憧れ」、違うと思いたい。こんなことをこんなところで言う時点で自分は相当な野暮だけれど、違うと思っている。浅はかなあの人はいつもヘラヘラ笑っていて、芯がブレていて「それっぽい」モノで満足する。変なの。「ぽい」に惹かれる人の気が知れない。

わたしは、そんな「ぽい」ばかりな方と表向きは同じように「憧れ」を持っているけれど。嫌だ。周りからはこんな事どうでもいいような話だから、別に「ぽい」も「ぽくない」も同じように扱うだろう。やめてよ一緒じゃない。わたしはいつでも本物に近いものを探していたい。「ぽい」で満足したくない。こんなヨーグルトのホエイみたいな気持ち、誰にも掬いようのないヤツだ。ただ、いつでも心の奥にある気持ち、「ぽい」は嫌だ。

それこそ「ぽい」ものって、薄くてすぐ破れるポイと同じ。金魚なんかすくえたもんじゃない。だったら、わたしは恥をかいてでも厚い紙を探し続ける生き方をしたい。100回すくって1匹しか取れないよりは、1回で100匹取れる紙を探したい。わたしの中にある「ぽい」モノなんて全て捨ててしまいたい。ポイしたい。

憧れる気持ちを持つことは素晴らしいことだ。ただ、それが「ぽい」で構成されているものでも満足できる人はつまらない。くだらない。だから私は、いつでもポイみたいな「ぽい」をポイしていたい。自分の手で探し出した厚紙でありたい。

下衆ラジオ

有吉のSUNDAY NIGHT DREAMERを聴く。世の中にはセンスがある人が集まる場所があって、しかもこんなにたくさんいるのだと気づく。超面白い。

「日記」のコーナーでも、情けない日常に対してもポジティブなゲスナーたちが無駄に愛おしく見えてくる。本当に最低な日々を過ごしている人たちなのかもしれないが、それをセンスに笑いに変えているところを見ると、自分の世界の狭さと世の中の広さにハッとさせられる。

すごい好き。超面白い。腹よじれる。有吉の悪ノリに振り回されるアシスタントたちも楽しそう。いいラジオ。

こんなに芸能人の悪口を、コンプラを越えたことを言っているラジオもなかなかない。テレビだと『クイズ☆タレント名鑑』、『クイズ☆スター名鑑』が担ってくれていたのかもしれないが、惜しくもベン・ジョンソン、ボビーのせいで終わってしまったので仕方ない。その欲求をさらにサンドリにぶつける。

最近、ラジオがどんどん好きになってきてしまった。ぼちぼちしか聴けてないけれど、のめり込んでいる。

飛沫を纏う『愛し愛されて生きるのさ』

小沢健二オザケン。すげー。いつでもすごい。なんなのこの人。

アルバムの『Life』、新しい。24年前に発売されたものなんて思えない。昨日出ましたって言われても全然信じる。

一曲目の「愛し愛されて生きるのさ」。この曲すごいよね、歌詞云々よりまずこのインパクトのあるタイトル、ふとした時思い出す。忘れられない。

退屈な話を聞いてる時、満員電車の八方塞がりの時、ダサい街をやっとの思いで後にする時、脳内の泉に寡黙な住民が「愛し愛されて生きるのさ」という言葉をぶっきらぼうに投げる。水しぶきをあげながら私の中にこの言葉が沈む。その脳内住民は決して丁寧には投げ込まないけれど、幸せなイントロが飛沫に紛れて流れるから良いのだ。その飛沫に小鳥や野うさぎが集まってきそうな勢い。いかつい顔の住民にも笑顔がほころびそう。そんな妄想が膨らむ。日常のとるに足らない時に思い出しては少し心を充実させる魔法のよう。つい口に出して言いたくなる「愛し愛されて生きるのさ」。

曲自体が日曜の午後2時。とにかく幸せになる。めちゃくちゃに眠くなっても、やることがたくさん溜まっていても、どうにかなるように思える。

私も可笑しいくらい愛し愛されて生きている事を自覚できるまでの大人になりたい。そう思わせてくれる曲。素敵です。いつでも、気分が沈んでもあがっていても聴いていたい曲。素敵です。

電子レンジみたいな漫画

とある漫画を読んだ。ボロボロ涙が出た。驚くほど涙が出た。

ある人に絶対読めと渡された素敵な漫画。出版されてから30年以上も経った「古い」モノなのに私には「真新しい」世界だった。

短めの漫画がいくつも入っていて、大体の作品に女の子が出ている。皆違うタイプだけれど、どこか似ていて、どこか尖っている。

わたしは、電車の中で「嫌い」を言っていく女の子のお話がとても好きだった。年寄りが嫌い女が嫌い、そんな事を言う彼女は嘘つきが好きだと言う。強い嘘つきになりたい、そう思っている。荒波に揉まれながらも、どうにか強がっている。

自分は強がりきれない。恥を捨てて強がることができない。もしかしたら、よっぽど強がる人より恥ずかしい奴なのかもしれない。だから私はそんな「嫌い」ばかりの彼女に惹かれてしまうのだろう。

そんなつもりじゃなかったのにボロボロ出る涙は止められなかった。泣きたくないのに出てきた。心の中の負の何かが冷蔵庫に入ったバターみたいになっていたけれど、どんどん溶けて沁みこんだ。素敵な作品だ。温かかった、電子レンジみたいな、無限ワットな電子レンジ。

良いものに出会えたな、またそう思えて私は嬉しい。

もってる人の特権、脳天トンボ

小学校の頃、一つ上の学年で「いじられキャラのめっちゃもってる人」がいた。名前も顔も覚えていないが存在は覚えている。

修学旅行の日。四年生から六年生まで同時期に各場所へ修学旅行をするようになっていたので、学校集合をした3学年はごった返していた。

私は四年生だったと思う。ようやく整列をして校長に挨拶をして近くの駅やバス停に出発しよう、そんな時に「めっちゃもってる人」の頭にトンボが止まった。ずっと動かない。頭を軽く振っていたが動かない。「もってる人」の同学年からは爆笑の嵐。収集がつかなくなりかけた事に危機感を覚えた先生が、無理やりトンボを追い出したけれどこのままいけば一緒に旅ができたのかもしれない。暑くなりはじめたあの時期にぴったりの、力が抜けるような出来事だった。

「もってる人」にはトンボがつくものなのか、当時の私の小さい脳にはそう刷り込まれた。そしてその小さい脳で、極限に素直な気持ちで「もってる人」になりたいと思った。理由はもちろんない。

いつかなあこれも。覚えていない。四年前くらい。何かしてた時。校外学習で割と真面目な会だった気がする。その時は夏と秋の間で暑くはないけれど涼しくもない、どっちつかずな時期。

頭に違和感がある。ベビースターみたいなヤツに掴まれている。なにこれちょっと気持ちいいけど、なにこれ。

気づいたら、一緒に行動していた友人が声にならない笑い声を出していた。その友人が揺れる腹筋に抗ってどうにか発した言葉「トンボ」。マジか、私にもトンボがつくのか。嬉しかった。もってる人になれたのだ。奇妙な光景に、クラスメイトが集まってきてちょっとした珍事件になってしまった。ただ当時の私は昆虫と触れ合う事に異常な恐怖を抱いていたので、めちゃくちゃ驚いたせいですぐに飛び立ってしまったけれど。

きっとマヌケな姿だったのだろう。脳天にトンボ。もちろん普通に見りゃマヌケ。でも、その時の私にはどんな勲章よりも輝いて見えた。もってる人。嬉しい。奇跡を起こす人になったのだ。よっしゃ。

未だに忘れられない記憶。もしかしたら嘘なのではないかと思うくらい曖昧な記憶だが、事実である。

なんであんなに「もってる人」になりたかったかは覚えていない。でも、時々「もってる」出来事があるとあの茜色のトンボを思い出す。あの夏でも秋でもない空を思い出す。息をする事に必死になる程笑った隣の友人を思い出す。

あの「もってる人」は元気かなあ、トンボのこと覚えてるのかなあ、あなたが覚えてなくても私が覚えているけれど。衝撃の「もってる人」だったから、全く忘れられないけれど。